大湫 白山神社
瑞浪市大湫町410
【祭神】白山比咩命
【例祭日】10月第1日曜日
【由緒】棟札は中山道大湫宿発足直後の慶長17年(1612)の再建札を最古のものとして保存されており、江戸時代は領主尾州藩から年貢除地の特例を受けていた。
(岐阜県神社名鑑より)


祭神 白山比咩神(しらやまひめのかみ)
白山神社
瑞浪市大湫町410番地
中山道以来の鎮守社
大湫白山神社は神明神社の東方約百メートル、中山道大湫宿の町並のほぼ中央部北側にあり、神域の北手は本陣山の中腹につづいています。
この白山神社は宿内往還脇に建てられている鳥居の奥から51段の石段を上って広場に達し、本殿はさらに49段の石段を上り、本陣山の中腹といった場所に、周囲を社叢(しゃそう)に囲まれて鎮座し、明治の神社制度改正時にも西隣りの神明神社と共に一村二社という特例が認められ、大湫宿の鎮守社として町民の崇敬を受けてきました。
本殿は間口2メートル、銅板葺。末社は八幡・天神・牛頭(ごず)・愛宕(あたご)・妙見・御鍬の六社で、二反二畝の境内地は江戸時代から神明神社と共に領主尾州藩から年貢除地の特例を受けていました。
また棟札は宿発足直後の慶長17年(1612)の再建札を最古のものとして享保・延享以降の二十余枚が大切に保存されており、約四百年に及ぶ長い間の白山神社の歴史と、神社に対する宿民の崇敬の模様を詳細に知ることができ貴重です。
現在の例祭日は10月第一日曜日で、祭礼は古式通りに神明神社との合祭形式で、神楽・神事のあと山車の先導で両神社の御神体を奉じた御神輿が宿内往還を臨幸するという祭礼であることは神明神社の項でも述べた通りですが、宿資料によりますと、江戸時代以来明治10年までは「大湫宿三社祭」といってこの年まで大湫宿にはもう一社八幡社があり、「8月15日八幡社・同16日神明社・同17日白山社」の三日祭りで御神輿・山車の臨幸が行われ、近郷近在からの見物客で賑わう大お祭りであった、とあります。
また昭和61年秋には神明神社につづいて狛犬・燈籠石段などの造立・整備工事がなされて神域が整えられ、現在では町民だけでなく中山道探訪者からも大湫宿の名所の一つとして崇敬を受けています。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)







大湫 白山神社
宿場発足直後の慶長I7年(1612)の再建棟札のある古い神社で、神明神社とともに一村ニ社という特例が認められ、大湫宿の鎮護社として町民の崇敬を受けてきました。
大湫宿と言えば神明神社の大杉が有名ですが、ここにもかつて大杉があり、名古屋城改築の用材として何度も伐採命令を受けながらも宿民が一丸となって守り通してきました。ところが、昭和22年に大湫中学を立てるために姿を消すこととなり、その後、中学も廃校になってしまいました。
(『大湫宿・細久手宿』より)
白山神社
白山神社は問屋場の奥の上段にあり、慶長十七年(一六二二)の再建棟札のある古い神社で、神明神社と共に宿時代からの大湫宿の産土神(うぶすながみ)である。
(中山道ガイドブックより)
燈籠
大湫町白山神社(天保四・一八三三・単・円)
石段
大湫白山神社では下段のものが文化十二年(一八一五)、中段のものが天保四年(一八三三)。
(ふるさとの石碑と灯篭より)
大湫白山神社
祭神 白山比嘩命(菊理姫命) 旧村社 最古棟札 慶長十七年(一六一二)九月再興 大湫町
慶長十七年の棟札に再興とするも当初のことは今不詳、保々氏および宿中により宿内および旅人の守護神として奉祀され享保・延享・宝暦以降の棟札多く残る。もと神木に白山神社大杉あれどいまなし。
神明・白山神社例大祭
(10月第1日曜日)