■ 神社 神様

南宮神社 瑞浪市土岐町市原

土岐町市原 南宮神社

瑞浪市土岐町6886
【祭神】金山彦命
【境内社】高山神社・日吉神社・浅間神社・御嶽神社・愛宕神社・白川神社
【例祭日】4月第1日曜日
【由緒】創建年月日は不詳であるが、当社は天正年間、美濃国一宮南宮大社より、社人只越兵衛正澄、この処に勧請して創祀すると伝えられる。以来永く同家累代御社頭に仕え、祀職相受けてひたすら大前に勤しみ奉って仕え奉る程に、御神威益々高く、広く東濃地方の守護神と仰がれたが、昭和の初め只越家が遠方へ転出された後も崇敬されている。
(岐阜県神社名鑑より)

祭神 金山彦命(かなやまひこのみこと)
南宮神社
瑞浪市土岐町6886番地(市原)

美濃国一宮南宮大社の分社
 市原区の産土神社、白山神社より約百メートル南の、道路東側に南宮神社”の社標が立っております。それに、
美濃国一宮南宮大社
  宮司宇都宮敢謹書
 とあるのは南宮大社の分社である証でしょう。

由 緒
 コンクリートの幅広い階段を上り、大きく右へ回って行くと鳥居が立っており、そこが南宮神社の前です。その左側に、御社殿修復之碑が立てられており、
 「御祭神金山彦大神は古来金宝を守護される破魔除災の御神徳洵(まこと)に高き大神にあらせらる、当社は今を去る三百八十有余年前、天正年間美濃国一宮南宮大社より、社人只腰兵衛政澄、此処に勧請して創祀すると伝えらる、以来永く同家累代御社頭に侍り、祀職相受けて只管大前に勤み奉りて仕奉し程に、御神威益々高く顕はれ広く東濃の守護神と仰がれ坐しぬ、先に遠く転出され久しき只腰家一門代々の深き縁に思ひを致され、此度多額の淨財を寄進され氏子相共に力を協せ、本殿の御修復を今春美はしく、その工を竣へ以って高き神恩に応へ奉るを得たり、仍って茲に謹みてその由来を記し以って永く後世に伝へ残さんとするものなり
  昭和四十年四月吉日
     市原氏子中」
と刻み込まれております。
 本殿の前に御神門かと思う程に立派な拝殿が立っており、その奥に本殿があります。創建年月日不詳ですが、境内社が宝暦5年(1755)とありますので、本殿はそれ以前の造営と考えられます。

例 祭
 白山神社の棟札、又氏子の話から推測するに、南宮神社は当地方の守護神と崇められまた只腰家の氏神と崇敬されたとも思われますが、例祭は四月第一日曜日、市原区中の役員の方々が参列、昔ながらのとりのこを沢山お供えされております。また境内に
 「平成の桜」と名付けて 八重桜が多く植樹してあり大樹となるのが楽しみです。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)

市原 南宮神社

 この神社は、金山彦命を祀った神社で、天正年問(1573~1591)に美濃の国ー宮南宮神社より、只腰平衛政澄によって勧請、創始されたと伝えられています。
 この南宮神社は、東濃地区にはーつしか無く、東濃の守護神として、多くの参詣者があったそうです。
 昭和40年(1965)4月、市原区の皆さんの浄財で改築されました。
 中央奥に本殿があり、創建時期は不明ですが、境内の社が宝暦5年(1755)とあることから、本殿はその時期以前のものと考えられます。今でも、4月の第1日曜日に祭礼が行われています。

(土岐地区 郷土再発見より)

市原 南宮神社
 祭神 金山彦命 旧無格社 最古棟札 寛文十二年(一六七二)十二月再建 土岐町市原

 寛永二年(一六ニ五)遷座とするも今は見えず、寛文十二年市原村中にて再建の棟札あり。安政以降荒廃し再び修覆して現在に
至る。再建棟札神職名に只腰右京とあり。


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