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社別当 津島神社 瑞浪市日吉町宿洞社別当

日吉町社別当 津島神社

瑞浪市日吉町6131
【祭神】素盞嗚神
【例祭日】10月中旬日曜日
【由緒】創立年月不詳。元和6年10月14日造立の棟札がある。古来村社。明治6年5月15日村社の格に列した。
(岐阜県神社名鑑より)

祭神 素盞嗚神(すさのおのかみ)
津島神社
瑞浪市日吉町6131番地(社別当)

天王宮から津島神社へ
 この津島神社は、元和6年(1620)に牛頭天王(こずてんのう)宮として創建されました。
 牛頭天王というのは、もともとインドの神様ですが、日本へ伝わって素盞嗚神(すさのおのかみ)と一体化され、疫病厄除の神として古くから崇敬されていました。
 社別当の先人達は、この神を産土神として勧請し、神社を建てた所を天王洞(てんのうぼら)と呼んで敬神の誠を捧げてきたのです。
 そして、津島市の本宮と同様、明治の初めに津島神社の名に変わりました。
 本殿は間口0.9メートルの桧皮葺流造で覆殿に守られ、東側が巨大な岩山となっています。延享4年(1747)建立の石燈籠が一基あり、拝殿は平成3年に改築されたものです。

新道建設で分断された参道
 もともとこの神社は、慈照寺(じしょうじ)の下から谷沿いに続いていた旧道から鳥居をくぐり、自然石を巧みに用いた石段を上って参拝するようになっていました。
 それが、昭和50年代初めの防災池築造に伴う新道開削によって上下に分断され、鳥居、燈籠などのある枡型が下にとり残されてしまいました。

例祭に三ツ獅子の舞奉納
 毎年10月第二日曜に行われる例祭には獅子舞が奉納されます。これは「宿洞の三ツ獅子」と呼ばれ、弘化2年(1845)の頃に始まったもののようで、今では市指定の無形民俗文化財となっています。
 祭礼の一か月ほど前の9月1日、お役者付けといって、若衆や区民が区長宅に集まり神酒を酌んで、天狗一・笛二・鼓二・太鼓一・獅子三(雄二雌一)蠅追い二の各役を決めます。役につくものは、お役者に上るといって家族は勿論縁者までが喜び合いました。
 昔は、お役者が、祭日三日前から斎戒沐浴(さいかいもくよく)して祭元に集まり、獅子神楽のけいこを行い、祭日には極めて厳粛に舞が奉納されていました。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)

社別当 津島神社

祭神 素戔嗚命 旧村社 最古棟札 元和六年(一六二〇)十月造立 日吉町宿洞社別当

 元和六年社別当村の産土神として造立し、以降天王宮として奉祀す、地名棟札には多く茶別当とするも社別当が故事に正しからん。宝暦・天明・寛政以降の棟札を残す。

宿洞獅子舞「小野の舞」

奏楽曲小野の舞…「ホーイサマ」「ヒーヒャオロヒー」オクリ笛
道ゆき…「津島の曲」「下馬の曲」…小野の舞を再舞
ごろ舞(チヒャオの曲)送りの曲…道ゆき奏楽(上・下馬場で奉納)
天狗一 笛ニ 鼓二 太鼓一 獅子三 蝿追(ささら)二(童子)…蝿追役は五色の笠に五色の采
(正保年中(一六四四~)悪病流行・悪魔退散・疾病快癒を祈願して奉納したにはじまるという。)
宿 獅子舞(獅子頭はーつにて深沢獅子舞と大略同一にて舞う)

宿洞三ツ獅子(しゅくぼらみつじし)

 瑞浪市には日吉町の複数地区に獅子舞が伝えられていますが、宿洞地区に伝わる宿洞三ツ獅子は市内に伝わる唯一の三匹獅子舞で、毎年10月の八王子神社、津島神社、酒波神社の祭礼において奉納されていました。
 かつては、祭礼1か月前の9月1日のお役者付け(役決め)では区民が区長宅に集合し、神酒を酌んで古式により、天狗1、笛2、鼓2、太鼓1、獅子3(雄2・雌1)、蝿追(ササラ)2の役を決めていました。役に選ばれるのは名誉なこととされ、選ばれた者の家では家族全員で喜びあったといわれています。
 役者は祭礼の3日目から水を浴びて心身を清め、祭元に集まって稽古を行い、祭礼では極めて厳粛に神事が進められて舞が奉納されました。舞には、馬場を回る「津島道行」と神前で舞う奉納舞があり、奉納舞には「上ババ」「下ババ」「中舞」「コロ舞」がありました。
 この三ツ獅子についての由来は定かでありませんが、記録に「お役者に上るもの一人二文、右の通り定め候也 弘化二年九月十八日」とあることから、遅くとも江戸時代末期の弘化2年(1847年)には奉納されていたとみられます。
 昭和54年(1979年)に地元有志が保存会を結成して奉納が続けられていましたが、近年は担い手不足により奉納は中断しています。

(瑞浪市ホームページより)


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