日吉町田高戸 尋河神社(ひろかわじんじゃ)
瑞浪市日吉町8050
【祭神】南方刀美神・八坂刀売神
【例祭日】10月15日近い日曜日
【由緒】創立年月不詳。美濃国神名記に従五位下尋河神社とある。明治12年調査の通り。明治6年5月15日更に村社の格に列した。
(岐阜県神社名鑑より)



祭神 南方刀美神(みなみかたとみのかみ)・八坂刀賣神(やさかとめのかみ)
尋河神社(ひろかわじんじゃ)
瑞浪市日吉町8050番地(田高戸)
国帳従五位下尋河明神
鳥居の前の社号標に、「国帳従五位下尋河神社」と彫ってあります。国帳というのは国内神名帳といって、平安時代の中ごろ(1050年ぐらい前)に作られたといわれている国ごとの大事な神社の神名を載せた公簿です。
美濃には美濃国神名帳があり、その土岐郡の部に従五位下尋河明神と記されていますから、たいへん古く格式のある神社であったことがわかります。それを誇りとして、この社号標が建てられたものでしょう。
尋河神社にまつわる伝説
尋河神社の創建については、いろいろな伝説があります。
文亀年間(500年程前)信州諏訪出身の青木喜平という鷹師が、現大明神の滝で不思議な珠を拾ってきて御神体とし、諏訪明神を祀ったとか、対岸の十日神楽(とうがぐら)の人々が、田高戸の滝にピカピカ光る物があると知らせてきたので、探してみると不思議な丸い石があった。それを御神体として神社を建て、滝の名を大明神の滝とした、などというものです。
しかし、いずれも神明帳の作られた時代よりずっと後の話ですから、尋河(ひろかわ)という名から、御神体を河で拾った、或いは河で尋ね求めたというような話になったのではないでしょうか。
一番古い棟札は天文3年(1534)のもので、そこに建立諏訪大明神と記してありますから、当時すでに祭神は今と同じ諏訪の神であったことがわかります。
昭和49年拝殿等改築
こうした古い由緒をもつ神社ですから、創建以来度々社殿建て替えや修理が行われてきましたが、昭和49年に拝殿と覆殿を改築し、玉垣・燈籠狛犬などを新設するという大事業がなされました。それには、地元の方々は勿論、他市他県に出ている田高戸出身者からも多額の浄財が寄せられ、立派な神域になっています。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)