■ 神社 神様

稲荷神社 瑞浪市日吉町白倉

日吉町白倉 稲荷神社

瑞浪市日吉町2826(白倉)
【祭神】倉稲魂神・大宮女神・猿田彦神
【例祭日】4月15日近い日曜日
【由緒】鳥居をくぐり、72段の急な石段を上りつめた所に、禿山の崖を背にして朱塗りの小さな本殿が建っている。昔この禿山には大小いくつかの洞穴があり、上には樹木が茂って、狐たちのよいすみかになっていた。白倉のある人が命にかかわる大切な物を紛失してしまい、必死に探したが見付からず、死を覚悟した夜、禿山でたわむれる子狐の夢を見た。そこで、藁をもつかむ思いで「きみたちの親神の祠を建てるから、どうか私の大切な物を探し出して下さい。」と、禿山へ行って祈願した。半月の後、思わぬ所から出てきて命拾いをしたので、早速、稲荷様の祠を建てて感謝のお祭りをしたと言う。これが禿山稲荷の始まりで、以来失せ物、家内安全、商売繁盛など諸々の願いを叶えて下さる神様として参拝者も多かった。
(岐阜県神社名鑑より)

祭神 倉稲魂神(うがのみたまのかみ)大宮女神(おおみやのめのかみ)
猿田彦神(さるたひこのかみ)
稲荷神社
瑞浪市日吉町2826番地(白倉)

サバ山の狐の夢に救われて
 鳥居をくぐり、72段の急な石段を上りつめた所に、サバの崖を背にして朱塗りの小さな本殿が建てられています。
 昔、このサバ山には大小いくつかの洞穴があり、上には樹木が茂って、狐たちのよいすみかになっていました。
 ずっと昔のことです。白倉のある人が命にかかわる大切な物を紛失してしまい、必死に探しましたが見付からず、死を覚悟した夜、サバ山で戯れる子狐の夢を見ました。そこで、藁をもつかむ思いで
「きみたちの親神の祠を建てるから、どうか私の大切な物を探し出して下さい。」
と、サバ山へ行って祈願しました。そうすると、半月の後、思わぬ所から出てきて命拾いをしたので、早速、稲荷様の祠を建てて感謝のお祭りをしたのです。
 これがサバ山稲荷の始まりで、以来失せ物、家内安全、商売繁盛など諸々の願いを叶えて下さる神様として、遠く尾張・三河からの参拝者も多かったといいます。
 その後、天災のため社殿が大破したので、嘉永3年(1850)白倉村の代表が伏見稲荷から分霊を勧請して再建しました。
 土岐郡への最初の勧請であったため、伏見稲荷から「土岐稲荷神社」と命名されたといわれます。再建にあたっては、日吉郷全村のほか尾張知多郡など遠くの人からの寄進がありました。
 さらに、明治24年には濃尾大地震が起こり、大きな被害を受けたので、崇敬者はたいへんな苦労をされました。
 その時の記録が小さな板切れに記されて残っているので、一部を紹介しておきます。
 維(これ)時(ときは)明治弐拾四年一月二十八日近代未曽有ノ大地震ニテ祠上如笠蔽ヒタルサバ動揺シ為ニ祠宇拝殿圧倒スト雖モ直ニ修復難成ニ付、村社神明社祠宇ヘ奉移シ御相殿ニテ明治廿五年ハ四月十五日祭典執行シ、仝弐拾六年御祭典前先地ヘ移祀致度モ、笠W押出居リ危険墜落ノ憂恐再ヒ難計ニ付拝殿建築ハ差延ヘ、祠修繕ノミ一ト先……   (以下 略) 現在のような土木機械のない時代ですから、大きな危険を冒しながらの手作業であったと思われます。
 今では、4月の例祭の時や月一度の老人会による清掃参拝以外には、お詣りする人も少なく、森閑としたたたずまいですが、立派な石段や切り立った崖を見ると、かっての賑いや先人の信仰心の篤さが偲ばれて打つ拍手にも心がこもります。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)

 明治二十四年十月には濃尾大地震が起こり、白倉の「稲荷神社」には、「本殿、拝殿共に倒壊した」という記録が残っている。

(酒波神社誌より)


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