木の暮 津島神社「お宮舞台コンサート」桐井祐依ソプラノコンサート 2023.10.8
土岐町木暮 津島神社
瑞浪市土岐町2193
【祭神】素盞嗚命
【例祭日】7月末日の日曜日
【由緒】当神社がお祀りする神様は建速須佐ノ男命(タテハヤノスサノオノミコト)で、愛知県津島市にある国幣中社の津嶋神社の分社である。この神様は、流行病を治める力を持った神様で、また、気性の激しい神様でもあるため、悪を追い払う戦いの神様として一般の人たちに広く尊敬されている神様でもある。また、京都にある官幣大社の八坂神社も同じ神様をお祀りしている。当神社は寛永10年(1633)創建、元禄2年(1689)再典された棟札があるが、その他の由緒については不詳。大正13年1月26日東宮殿下の御成婚記念として、拝殿と石の柵を建設した。また、昭和4年に昭和天皇が即位された記念儀式が行われたことを記念して、本殿の屋根を銅に葺き替えして、長く保存出来るように作り替えた。
(岐阜県神社名鑑より)
祭神 素盞嗚命(すさのおのみこと)
津島神社
瑞浪市土岐町2193番地(木暮)
先人の気概を思う立派な舞台
境内に入ると、まず目につくのが大きな舞台です。社殿前の広場をはさんで、北側の一段高い所に本殿・拝殿・末社が配置され、南に間口五間奥行四間、梁は一抱えもあり屋根の勾配が美しい曲線をなしている立派な舞台が建っています。50戸ほどの氏子でよくもこんな立派なものを建てたものだと、昔の人の気概に打たれます。
昭和初期まで、この舞台で度々歌舞伎が上演され、戦後も木暮区の子供たちの学芸会などが行われていましたが、今は祭の時以外は、ひっそりとしています。
寺の指導で神社護持
寛永10年(1633)創建元禄2年(1689)再興等30数枚の棟札が残されていますが、その大部分に社僧の名が見られます。
元禄2年再興の札には、遷宮法主桜堂妙本寺住醫王院良秀と書いてあり、享保5年のものには、あまこい御日侍丸山つかまつり、願主明悟院と記されています。さらに、大略次のような興味深い記録も残っています。
「当社牛頭王宮(ごずおうぐう)は木暮組中の鎮守であるのに、別当万蔵院が六十年余無住となつたため、氏子の中にある一派が勝手なことをしてもめごとが起きている。この度、万蔵院役人と氏子惣代並びにその一派の者が立会い、今後は遷宮・祭礼雨乞い等何事によらず、別当役人と氏子がよく相談して勤めるように定めたので、後日の為これを書き残す。
万延元年十二月」
これらを見ると、江戸時代の氏子は、寺の指導を受けながら自分たちの神社として祭礼や雨乞い、社殿の修理などに熱心であったことがよくうかがわれます。
伝統を守る夏の例祭
昔は、津島市にある本宮の祭礼日に合わせて祭を行っていましたが、今は子供の夏休みになってからの日曜日に行うことにしています。
参道に沿って切子燈籠が吊され、境内のまわりと舞台の軒には提灯が巡らされます。
明るいうちに子供相撲の奉納、夜は盆踊りと、夏祭りの伝統が守られております。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)
木ノ暮津島神社と観音堂
津島神社
建速須佐之男命(タテハヤノスサノオノミコト)を御祭神とし、疫病・厄難除けを願って寛永10年(1633)に建てられた村の神社。一度壊れ、元禄2年(1689)に建て直しされたと記録にある。津島神社は津島牛頭天王社とも呼ばれ、明和5年(1768)、天明7年(1787)に牛頭天王と記された石灯篭が本殿前に寄進される。
境内に記られている神様(本殿に向かって左より)
・氏神様…地域に住む人達を守る神様(鎮守様)
・山神様…山の神様
・金毘羅様…水害の神様
・秋葉様…防火の神様
・水神様…田んぼや井戸の神様
・稲荷様…食べ物、商売、失せもの探しの神様
・農業の神様
舞台
寛永年間(1624~1643)に建てられ、その後、幾度か修復され今日に至る。昭和初期まで地歌舞伎や芝居が奉納上演される。
秋葉石灯篭
文化13年(1816)、津島神社、秋葉大権現への安全祈願を願って地元民によって寄進される。
観音堂と石灯篭
元文3年(1739)に現在より北西50mの地に建立される。老朽により、慶應3年(1867)に造り直される。子安観音、不動明王、弘法大師、屋外にあった石仏が祀られ、昭和40年、中京短期大学の設立に伴い現在の地に移転される。昭和61年には、木ノ暮の戦没者の御霊11柱が納められる。
観音堂前の石灯篭は、寛保元暦(1741)の記があり
観音堂が建てられて間もない時期に納められたことがわかる。
土岐地区まちづくり推進協議会(現地看板より)