土岐町益見 白山神社
瑞浪市土岐町7331
【祭神】白山比咩命
【例祭日】10月15日に近い日曜日
【由緒】慶長19年(1624)当益見地区の近藤弥次衛門が加賀一の宮白山比咩神社より分霊を勧請して、旧猿子村の山中に奉祀したのが始まりである。しかし、村里から遠く離れていたため、慶応2年に現在地に遷宮された。例祭は10月中旬で、前日は試楽祭といって、氏子は五色の幣オマントを作り、祭日当日は早朝から祭元が飾り馬を曳いて町中を練り歩いたが、現在は木製の練り馬にオマント五百本余りを飾って町へ出る。又、子ども御輿二基が町内を巡り、婦人会が笛や太鼓で応援する。予定の時刻になると町内35組が組々から奉納された紅白の餅投げが行われ祭は一段落する。
境内の末社は稲荷神社他4社が祀られている。稲荷神社は嘉永7年(1854)旧猿子村の水野為助氏によって豊川の円福山妙厳寺より勧請、当神社境内に祀られ、毎年二の午に初午祭が行われている。他に津島神社も末社にあり七月の孟蘭盆に合わせて祭事を行っている。
(岐阜県神社名鑑より)
祭神 白山比咩命(しらやまひめのみこと)
白山神社
瑞浪市土岐町7331番地(益見)
見通しのよい平地に奉祀
中京商業高校の南に広がる田の中に見える鎮守の杜が白山神社です。
慶長19年(1614)当地の近藤弥次衛門(現近藤秀夫氏の先祖)が加賀一の宮白山神社より分霊を勧請し、猿子村字平山の山中に奉祀しましたが、村里から遠く離れていたため、慶応2年(1866)に現在地へ遷宮されました。
明治6年に村社、昭和27年に白弊社に認可され、今に至っています。
例大祭は10月中旬で、前日が試楽祭、氏子は五色の幣(へい)(オマント)を作ります。
祭礼当日、昔は早朝から2組の祭元が飾り馬を曳いて町中を練り歩きましたが、現在は木製の飾り馬に町内各戸奉納のオマント450本を飾って町へ出ます。一方、子供御輿二基が町内を巡り、婦人会が鐘・太鼓で応援します。
その間に神事が行われます。
午後は、男女入り混じっての子供角力が境内を湧かせ、青年衆の大人御輿が町内に鐘や太鼓の音を響かせ日暮れ近くまで威勢よく巡幸します。
やがて予定の時刻になると、町内35の組々から奉納された紅白の餅が、太鼓の合図で一斉に投げられ、境内いっぱいの老若男女が、もみくちゃになって楽しい興奮の一刻を過ごして、総ての祭行事が終わります。
境内末社と石造物
境内には末社として稲荷神社ほか四社が祀られています。
この稲荷神社は嘉永7年(1854)猿子村の水野為助という人(現水野雄二郎氏の先祖)が豊川の円福山妙巌寺より勧請され、昭和33年に当地に移転奉祀されたもので、二の午に初午祭が斎行されます。誰いうとなく失せ物がよく見つかると伝えられ、多くの人に信仰されています。
他に、津島神社・若宮神社・御鍬神社・山神々社があります。
また、立派な従軍記念碑、忠魂碑等石造物も多く、平地の神社だけに里人の憩いの場、子供達のよい遊び場ともなっています。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)
益見 白山神社
白山神社には、明暦元年(1655)9月の棟札があります。
白山比咩命を祭神とし、慶長19年(1614)当地の近藤弥次衛門が、加賀―の宮白山神社より分霊を勧請し、猿子村字平山の山中に奉祀しましたが、村里から遠く離れていたために慶応2年(1866)に現在地に遷宮されました。
境内には、稲荷神社、津島神社、若宮神社、御鍬神社、山神々社などが合祀されています。
(土岐地区 郷土再発見より)
灯籠
(宝永六・1709・単・円・奉寄進村中)
信州高遠石工の久保田宇吉が陶町大川八王子神社前の辻の文化三年(一八〇六)のものと寺河戸町一色稲荷神社前の同九年(一八一二)それに土岐町益見白山神社の同十四年(一八一七)のものと三基も製作していることは特記されます。
秋葉辻灯篭
(文化14・1817・秋葉大権現・白山宮・天照皇太神宮・金毘羅大権現・国家安全・施主村中 願主若者 石工高遠住久保田嘉兵衛藤原為安・大川・一色と同一人)
水 鉢
(正徳五・1715・奉寄進・乙未十一月吉日・小木曽金右衛門)
(享保十・1725・乙巳歳・奥昌氏)
棟 札
土岐町益見 白山神社 濃州土岐郡稲口庄津田郷猿子村
(慶長十八年・一六一三 棟札)
益見白山神社
祭神 白山比嘩命 旧村社 最古棟札 明暦元年(一六五五)九月造立 土岐町益見
由緒に慶長十九年(一六一四)九月創建とするも今は見えず。明暦元年猿子村中にて造立の棟札あり。末社中の若宮八幡社に元禄十三年(一七〇〇)の棟札あり、貞享・正保以降の棟札多く現残し、元禄のころ社人の、享保年中には別当社僧に観音寺、寛延年中には周養院の名あり。