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若宮八幡神社 瑞浪市土岐町大草

土岐町大草 若宮八幡神社

瑞浪市土岐町8418
【祭神】大鷦鷯命
【例祭日】10月第2日曜日
【由緒】貞享2年(1685)酒井長三郎の心願により建立と記した棟札があり、三百年余り前に祀られたと考えられる。この土岐町の大字大草地区の集落は、多くの遺跡から推察できるが、戦国時代の末期から江戸時代にかけて集落が出来、戦国時代には、この辺りが武田方と織田方の勢力の接点上にあった。その為、当時の村人等は戦のための奉公に駆り出されたようである。漸く戦のない時代を迎えて、新しく平穏な村をつくるには、それにふさわしい神を迎え村民統合の中心にと神を迎え祀ることにしたと思われる。広く知られている通り、仁徳天皇(大鷦鷯命)は、民の暮らすかまどから煙が昇らない事に心を痛められ、3年程税を免除された慈愛に満ちた天皇であり、その仁と徳を崇めて祭神として迎えて祀ったと思われる。
 神殿の前に籠所があって、寛政年間、1790年代の築造で、古いけれど大事に保存されている。
(岐阜県神社名鑑より)


祭神 大鷦鷯命(おおささぎのみこと)
若宮八幡神社
瑞浪市土岐町8418番地(大草)

歴史を秘めた栂(つが)の大樹
 この神社の目じるしは鳥居の横にそびえる栂の老大樹です。まわりが4.0メートルもあるこの大樹を仰ぐだけでも宮の歴史を感ずることができます。
 さて、当神社の由緒については、伝承もおぼろで古文書等も残っていませんが、貞享2年(1685)五月朔日酒井長三郎の心願により建立と記した棟札が所蔵されていますから、三百年余り前に祀られたものと考えられます。
 この大草集落は、いくつかの遺跡から類推すると戦国時代末期から江戸時代の初期に成立したようです。ここへ来た人々は、初め北側の上野平で生活していたと伝えられていますが、18世紀初頭に土木技術の進歩で新田開発が進み、台地の上から水田に近い現在地に集落が移ってきました。
 戦国時代には、この辺りが武田方と織田方の勢力の接線上にあったため、村民は幾度となく戦奉公に駆り出されたものでしょう。
 漸く戦の無い時代となって、新しい村をつくるにはそれにふさわしい神を迎えて村民統合の中心とする必要がありました。
 人々は過去の戦を思い、将来の村の繁栄を願って、戦の神応神天皇(八幡神)の皇子である仁徳天皇(大鷦鷯命)を祀ったものと想像できます。
 広く知られている通り、仁徳天皇は、民のかまどから煙の上がらぬのに心を痛められ、三年の間税を免除されたという慈愛に満ちた天皇でしたから、その仁と徳を崇めて祭神として迎え、村を一望できる現在地に奉祀したのだと考えられます。
桧皮葺流造の本殿は、度々修理されていますが、創建当時のものです。
 籠所(こもりじょ)は寛政年間(1790年代)の築造、拝殿は昭和54年に総桧造りで再建されています。
 境内には、氏子の敬神の念をうかがわせるいくつかの石造物が奉納されています。

雨乞の喊声(びんせい)も挙がった境内
 拝殿前の広場では、元旦祭と互礼会に始まり、どんど焼、提灯祭などいろいろな行事が行われ、例祭には餅投げもあります。かっては、夏の日照りが続いた時、老若男女が集まって雨乞いの喊声を挙げたものですが、今ではすっかり深閑とした杜となっています。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)

大草 若宮八幡神社

 仁徳天皇を祭神として、貞享3年(1686)酒井氏及び村中にて建立の棟札を最古とする旧村社です。以後、宝暦・安永年代の棟札もあります。現在の拝殿は、昭和50年(1975) 4月に改築竣エされた総檜造で大草瓦葺きです。明治初期、村民の伊藤氏製作の瓦製1対の狛犬が奉納されていましたが、
吽形の狛犬は大破、阿形の狛犬は完全な姿で今も残っています。なお、昭和60年には創建300年祭を大草区民で盛大に祝いました。

(土岐地区 郷土再発見より)

大草 若宮八幡神社

祭神 仁徳天皇 旧村社 最古棟札 貞享二年(一六八五)五月建立 土岐町大草

 貞享二年酒井氏およぴ村中にて建立の棟札を最古とする。考えるにこの年創立ならん。宝暦・安永以降の棟札あり。大草村民伊藤氏作の瓦製狛犬一対あり。

 明治初年に土岐大草瓦が盛んになると、瓦製狛犬も奉納されるようになり、地元大草若宮八幡神社の「伊藤勇助・源十作」のものをはじめ、市原白山神社の明治十三年の 「大草水野市次作」、下沢白山神社の鵜飼・稲垣氏奉納による「大草水野小三郎作」、上小田八剣神社の明治期作と思われるものなどがみられるようになり、郷土における陶芸・工芸品としての作陶の歩みを知ることができる。


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