■ 神社 神様

白山神社 瑞浪市日吉町南垣外

日吉町南垣外 白山神社

瑞浪市日吉町3440(南垣外)
【祭神】白山比咩神
【例祭日】4月15日近い土曜日
【由緒】本殿は間口三尺ほどの桧皮葺流造であるが、何時建てられたものかわからない。現存最古の棟札は、寛文6年(1666)のもので、そこに「奉上葺……」と記されていて、少なくとも、200年以上前には建てられていたといえる。昭和53年に現在の拝殿が造営され、同時に御佐屋(覆殿)が造られ、本殿の傷みも少なくなった。今では自動車使用のため、ほとんど脇参道からの参拝であるが、本来は、下の馬場を通り、鳥居をくぐって石段を登りお詣りするものである。昔は、例祭日には子ども相手の露店が馬場に出るほどの賑わいだったという。社号標と石鳥居、古い玉垣等は大正の御大典記念、神前型の大きな燈籠と狛犬は昭和の御大典記念、さらに平成の御大典に当たっては、境内の整と玉垣改修が行われている。
(岐阜県神社名鑑より)

祭神 白山比咩神(しらやまひめのかみ)
白山神社
瑞浪市日吉町3440番地(南垣外)

巨巖壁立瀑布玲瓏清流[ケン]  [ケン] 不絶眞神居之處也
(キョガンヘキリツバクフレイロウセイリュウケン ケンとしてタエズシンにシンキョノトコロナリ) 
 本殿の傍に正徳4年(1714)建立の石燈籠があります。これは、千村重治という人が建てられたもので、その桿の部分に128字に及ぶ銘文が刻されています。その文中の一節が「巨巖壁立瀑布玲瓏……」 という言葉です。
 今も本殿・拝殿の傍らには文字通り巨大な岩が壁の様に露出し、近くに清流が流れていますが、昔はもっと清らかなきらめく様な水がちょろちょろと流れ、小さな滝が絶えず玉を転がす様な音を立てていたに違いありません。
 ここ南垣外の地は、久々利九人衆の一人千村家の治める所で、しかもその分家がこの神社のすぐ近くにあるため、崇敬殊に篤く、境内には他にも元禄、宝永の時代の燈籠が寄進されています。
 本殿は間口3尺ほどの桧皮葺流造ですが、何時建てられたものかわかりません。現存最古の棟札は、寛文6年のもので、そこに「奉上葺…(やねふきかえ…)」 と記されていますから、少なくとも200年以上前には建てられていたといえます。
 昭和53年に現在の拝殿幣殿が造営され、同時に御佐屋(おさや)(覆殿)が造られ、本殿の傷みも少なくなりました。
 今では自動車使用のため、ほとんど脇参道からの参拝ですが、本来は、下の馬場を通り鳥居をくぐって石段を登りお詣りするようになっています。昔は、例祭日には子供相手の露店が馬場に出るほどの賑わいだったといいます。
 社号標と石鳥居、古い玉垣等は大正の御大典記念、神前型の大きな燈籠と狛犬は昭和の御大典記念、さらに平成の御大典に当たっては、境内の整備と玉垣改修が行われています。
 そのほか毎年何らかの整備が行われ、さらに毎週日曜日に社殿内外の清掃が続けられているので、いつ参拝しても実に清々しく、森厳な雰囲気が保たれています。
 伊勢湾台風のため老木が倒れてしまいましたが、その後に植えられた杉桧が、よく手入れされてすくすく育っているのも気持ちのよい姿です。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)

南垣外 白山神社 瑞浪市日吉町南垣外

 千村重治は南垣外の「白山神社」に燈籠一基を奉納し、その竿に百二十八字にも及ぶ「神域礼讃」の辞を刻している。

(酒波神社誌より)

境内灯篭

日吉町南垣外白山神社(元禄十四・一七〇一・単・円・堀田伝之右衛門尉紀之恒室)

日吉町南垣外白山神社(宝永三・一七〇六・単・円・奉造立堀田弥五右衛門尉)

日吉町南垣外白山神社(正徳四・一七一四・単・円・竜松山白山神社由来銘文あり)

石製狛犬 日吉町南垣外 白山神社

 市内における石製狛犬の奉献例は、江戸時代では日吉町南垣外白山神社の一体に限られます。
 南垣外白山神社の石製狛犬は全高三〇cm足らずのもので一体だけです。

(ふるさとの石碑と灯篭より)

南垣外白山神社

 祭神 白山比咩命 旧村社 最古棟札 寛政六年(一七九四)再建 日吉町南垣外
 最古棟札は寛政六年なれど正徳四年(一七一四)千村重治(助右衛門伴七無求か)建立の石灯寵に小祠の縁起すでにあり、境内に元禄十四年(一七〇一)・宝永八年(一七一一)の灯寵もあれば建立は元禄以前と知る。陶製と石製の狛犬各一体あり、特に石製狛犬は市内唯一の現存にて貴重なり。


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