■ 中街道

十三仏碑 岐阜県 瑞浪市 日吉町本郷

 日吉町本郷の十三仏碑は全国的にも造立例が少なく、一碑に浮彫されている十三仏碑で、十三仏の配置も、徳本流の六文字名号との調和も見事な上、阿弥陀三尊の追彫といった珍らしい碑で、ここのもと毘沙門堂主であったと伝えられる「円山智覚庵主 円応明鏡禅定尼 天保十三壬寅年八月十七日」の造立者名、造立年月も明白で貴重な十三仏碑といえます。
 また、右下に追彫された阿弥陀三尊も「村中安全 弘化二巳十月 安藤儀右衛門輔政」とあってよく調和し追彫の次第も明白なものです。
 この碑の下半分の中央部に刻まれている徳本流の見事な「南無阿弥陀仏」 の六字名号については、同一人物による名号碑がここの日吉川沿い・明世町東仙寺・稲津町山ノ田と市内で四例見られます。

 県道大西線の北側の田んぼの中(旧中街道=鎌倉街道)に建っており、高さ183cm、下幅85cm、厚さ30cmの花崗岩で造られています。十三仏信仰は、死者の法事を修める時十三種類の仏を拝む日本独特の民間信仰です。
 本郷十三仏には、釈迦、文珠、地蔵など十三の仏像が彫られています。十三仏種子表の通り、焚字が彫られている場合がほとんどで、このようなものは珍らしいです。
 天保13年(1842)の建立。特に弘化2年(1845)に追善供養の仏像が彫られ、「南無阿弥陀仏」の誦名が彫られ、更に村中安全 安藤儀右衛門輔政とあり、珍重なものです。

十三仏石像

(天保13・1842・碑・立・十三仏を名号とも碑として造立)

水 鉢

本郷十三仏(元禄13・1700・毘沙門天・日吉本郷小栗氏・香鉢)

 十三仏のものはこの北手の旧毘沙門堂にあったもので、旧本郷村ではこの年に枝郷の常道神明神社と共に村内ニ社と二堂宇にそれぞれ水鉢を奉納したことが判ります。

十三仏

 十三仏とは、死者に対する追善法要事(初七日から三十三回忌までの十三法事)の主尊と定められた五如来・七菩薩・一明王の十三仏を指していいます。もともとは十王信仰といって三回忌(三年忌)までの十冥府にいる十王(仏)信仰に始まり、南北朝ごろから、七・十三・三十三回忌を加えて十三法事となったことから、その主尊も三仏加えられてこの「十三仏」が定められたとされています。
 十三法事の主尊としての十三仏は、初七日=不動明王 二タ七日=釈迦如来 三七日=文殊菩薩 四七日=普賢菩薩 五七日=地蔵菩薩 六七日=弥勤菩薩 七七日=薬師如来 百力日=観音菩薩 一年忌=勢至菩薩 三年忌=阿弥陀如来 七年忌=阿閥如来 十三年忌=大日如来 三十三年忌=虚空蔵菩薩 と定められ、それぞれの法事(忌日法要)毎にそれぞれの主尊を供養し冥福を祈るものです。
 やがてこの十三仏は、生前に不動から虚空蔵に至る仏名を唱える十三仏掛図の念仏講や十三仏石碑を造立して追善供養する民俗的な逆修仏事へと変化していったものです。

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