■ 三十三霊場

岩滝山 観音堂【美濃瑞浪三十三霊場 客番】論栃梵字碑 瑞浪市釜戸町論栃

 室町時代に建てられた岩滝山 温光院というお寺の本尊を迎え祀っています。川のほとりに建つこの観音堂は天保11年(1840年)に建てられたものと言われ、両側に構える論栃梵字碑は、瑞浪市の有形文化財に指定されています。軒下に作られた大きな蜂の巣も一見の価値があります。


岩滝山 観音堂
御本尊/聖観世音菩薩
市指定有形文化財/梵字碑
所在地/瑞浪市釜戸町論栃



頼政伝説「平家物語」

 源頼政(1104-1180)は、平安後期の武将で源三位(げんさんみ)頼政、源三位入道とも称され、源氏のなかでも特に文武に秀でた有名人です。
 仁平3年(1153)、京の都では御所の空に黒い雲がたちこめて、帝(みかど)が高い熱にうなされていました。雲の中に魔物がいて帝を苦しめているというのです。頼政が神仏の御告げを受けて、33の斑の尾を持つキジを探し、その尾羽根を使った矢で魔物を射れば、退治できるという事でした。

頼政岩 岐阜県 瑞浪市 日吉町
頼政岩(田の神)

 日吉町の大岩「頼政岩」に登って、キジを探していたといわれています。近くの「酒波神社」には末社に「頼政神社」があり頼政とかかわりがあるとも言われています。

屏風山 岐阜県 瑞浪市 稲津町
屏風山

 頼政は論栃の東山(「屏風山」)でこの山鳥をみつけ、8本の矢でまずこの山鳥を射とめました。8本の矢を射ったということで、その地が「八本ヶ射」と呼ばれるようになりました。

錦鶏八幡神社 岐阜県 瑞浪市 釜戸町
錦鶏八幡神社

 そのキジの亡骸を埋めた所に地元の人が社を祀りました。「錦鶏八幡神社」がその場所だということです。

天猷寺 岐阜県 瑞浪市 釜戸町町屋
天猷寺 犬塚

 キジを追い出した犬は、キジの毒に当たって死に、釜戸町芝原(町家)に埋められました。今は「天猷寺」に移され犬塚として残っています。
 頼政はその矢を持って都へ帰り、御所の屋根に上って黒い雲に向かい、力強く弓を引きました。矢は見事に雲の中の魔物に当たり、御所の前庭に転げ落ちてきたのです。見ると、その魔物は頭が猿、体は狸、足は虎、尾は蛇という怪物で、ヌエ(鵺)という名がつけられました。
 駆けつけた郎党の猪早太(いのはやた)が太刀で仕留め、その後頼政は仕留めたヌエの体をバラバラに切り刻み、それぞれ笹の小船に乗せて海に流しました。
 魔物が退治されると、帝の病はたちまちよくなりました。
 現存する平安期の日本刀に「獅子王(ししおう)」の号が付けられた太刀があり、このヌエ退治の功により、朝廷より頼政に下賜されたものであるとの伝承があります。



客番 岩滝山 観 音 堂

御本尊:聖観世音菩薩 三十三観世音菩薩
所在地:瑞浪市釜戸町論栃
電話(呼)中島彰(0572)63-2153番

御詠歌
み山路や ここに岩滝
 観世音
  こころをあらう せせらぎの音

 室町時代の頃、ここ論栃に岩滝山温光院(おんこういん)という寺が建てられた。温光院僧都(そうず)という方が開いたといわれる。
 江戸時代になると、温光院は無住の寺となり、だんだん荒れてしまった。
 そこで、天保11年(1840)ここ佐々良木川のほとりに観音堂を建て、温光院の本尊を迎えてまつったといわれる。
 その時、いっしょに移された楚字碑は、大層珍らしいものといわれ、昭和58年市の文化財に指定された。
 両脇の三十三観音は、明治3年苗木藩に廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐が吹き荒れた時、恵那市笠置町河合から、ここへ迎えてまつったといわれる。
 尚、廃寺となった温光院跡には、柿の古木が今も茂り、遠い昔の物語りをしているようである。

(美濃瑞浪三十三霊場めぐりより)


瑞浪市有形文化財
論栃梵字碑

 この梵字碑は、論栃地区の北方の高台に室町時代の中期頃創建され、江戸時代の中期頃廃寺となった「岩瀧山温光院」にあったもので、廃寺を惜しんだ当時の庄屋が、佐々良木川のほとりのこの地を切リ拓いて観音堂を建て、温光院の象徴であったこの碑を移し、祀ったものです。
 一つは、円形光背に『(ア)』で「日天」を表わし、他の一つは、舟形光背に『(カーンマン)』で「不動」を表わしています。土岐頼貞の墓のように梵字をその四方に彫った例は多くありますが、このように単独で梵字そのものを仏像の象徴として表現しているものは市内に類例がなく、貴重な石造物です。

(指定昭和五十八年二月二十八日)
瑞浪市教育委員会

(現地看板より)


岩滝山 観音堂 由来

 室町時代、ここ論栃に岩滝山 温光院という寺が建てられた。
 江戸時代になると当院は無住となり、だんだん荒れてしまった。
 そこで天保十一年(一八四〇)ここ佐佐良木川のほとりに観音堂を断て、温光院の本尊を迎えまつったといわれる。
 両脇の三十三観音は、明治三年苗木藩に廃仏毀釈の嵐が吹き、荒れた時、恵那市笠置町河合から、ここへ迎えてまつったといわれる。
 尚廃寺となった温光院跡には、秋の古木が今も茂り遠い昔の物語をしているようである。
 梵字碑は、大層珍しいものといわれ、昭和五十八年市の文化財に指定された。
 毎年三月二十一日彼岸の中日に大祭が行われ遠近より老若男女の善男善女でにぎわいます。

 昭和六十年三月彼岸
 奉納 中島利朗
 天猷十五世 宗信 誌

(現地看板より)


梵字碑由来

 梵字碑は論栃の北方高台に室町時代後期頃に創建された岩瀧山 温光院に建てられていたもので同寺が江戸中期以降に廃寺となったのを惜しんだ当時の庄屋がこの地に観音堂を建て、その守護神として同碑を移したと傳えられてゐる。
 同碑は市内ではここ一件しかなく県教委の調べでも県内でも珍しく極めて貴重な石造物と云われてゐる。以前道路の両脇に在った同碑を昭和五十八年八月二日吉日、市文化財指定を記念し前庭に移祀建立される。

 企画 瑞浪市文化財審議委員会
 協賛 釜戸財産区 論栃区

(現地看板より)


梵字碑解釈

 福岡政一氏 伊東茂夫氏

 右の碑の文字はアで日天(仏教)日天子の略でにってんさま十二天の一つ太陽を神格化したもので日輪を宮殿とし七赤馬に曳かれる七宝車に乗り摩利支天を前にして四点に照臨するといいます
 左の碑の文字はカーンマンで不動を表す分解すると(カ)に空天(ン)がつき(カン)長音がついて(カーン)となっても同じく不動そのしたは弥勒域は文殊の種字ですが(マン)には不動種字の意があり(カーン)と合併して不動の種字としている
 末尾の文字は休止符(終止符)です。不動は本有無垢なる菩提心の堅固不動にして常住不変なる徳を象徴せるものと云ふ

 昭和六十年五月吉日
奉納    中島 實

(現地看板より)


源三位頼政の伝説

 今から八百余年の昔 京都御所の空へ夜毎現れて近衛天皇を悩ます怪物を「退治せよ」という命をうけた源三位頼政は陰陽師の告げで三十三のマダラのあるキジを探して屏風山へやってきた。そして論栃の八本ヶ射りでそのキジを射落とすとその尾羽根をとって矢を作った。
 都へ帰った頼政はその矢を使って怪物ヌエを退治して武名を天下にとどろかせた。
キジを埋めた所は論栃の八幡神社境内でその社を錦鶏八幡といい頼政の犬を埋めた所が町屋の犬塚だということである。

○深山にて詠ず 源三位頼政
春は花 秋はしばたく釜戸山
 霧もかすみも 煙りなるらん
昭和六十年春 美濃瑞浪三十三霊場観音堂
奉納 中島勝朗 矣

(現地看板より)


境内灯篭

釜戸町論栃観音堂(天明四・一七八四・対・角・岩瀧さん・文政とで一対)

釜戸町論栃観音堂(文政九・一八二六・単・角・奉建立・村中安全)

 


庚申文字碑

釜戸町論栃観音堂境内(年代不詳・文字碑・庚申)

 


論栃の梵字碑について

 釜戸町論栃に、(岩瀧山温光院なる寺跡が残存している。伝えによれば、室町時代の後期ごろ平山村の足立氏、論栃村の中島氏が檀那となり修行僧を招いて、岩滝山温光院を開いた。
 現在の観音堂(観世音菩薩堂)の棟札に延宝五年(一六七七)丁己雪月二十七日
  中島喜右衛門
  導師 殿畑村 とあるので、延宝初期ごろ、廃寺せしか?  中島氏は廃寺を惜しみ、佐々良木川の山麓を切り拓き、土岐郡肥田村天福寺より観音様を勧請(かんじょう)し、香奠(こうでん)二百疋(ぴき)さし上げ候。
  願主 中島六兵衛(観音堂記)
 尚、観音堂の改築については
従馬場大助克昌様 材木
被下置致再建 吉田也
天保十一子年(一八四〇)二月十七日の記録が残っている。
 焚字碑は寺跡より移祀したものであるが今回当区長初め中島氏ら協力によって、観音堂前に恒久的に祀られし事は慶賀に堪えない。

論栃 庚申塔

 自然石(花崗岩)に「庚申」と大書刻銘したるも、年号、寄進者とも不明である。

釜戸論栃 庚申碑 天明四辰年 85×50 観音堂境内

 


論栃梵字碑(市指定)
・所在地:釜戸町2445番地の1
・昭和58年2月28日指定

 梵字とは梵語(サンスクリット語)の表記に用いられた古代インド文字で、中国・日本ではその字そのものに呪術的な力があるとされて、広く仏教遺物に使用されています。
 この梵字碑は、釜戸町論栃の北側の高台に室町時代に建てられた「岩瀧山 温光院」にありましたが、江戸時代の中頃に廃寺となってしまったので、時の庄屋、中島氏はそれを惜しんで、佐々良木川のほとりを切り開いて観音堂を建て、岩瀧山温光院の象徴であったこの梵字碑を移し祀りました。
 梵字碑は、一つか舟形光背に「(カーン)」が、もう一つが円形光背に「(ア)」が彫り込まれており、それぞれ不動明王、日天子(にちてんし)を表します。
 梵字碑は市内にもこの1件しかなく、県内でも稀に見る石造物です。

(瑞浪市の文化財より)

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