寛文8年(1668)舜栄法師により八幡神社の守り寺として南側の地に八幡山安楽院神誓寺が建立された。社僧を居き、法印法師たる身分をもって、弔事を除く神仏祭事一切を司って七代、約200年を経て、明治初年神仏分離令が制定され、以前の行為はすべて排除され、神官をもって神徳高揚に任ぜられる。明治6年神社諸制度改革の折八幡神社と社名を改め、社格を村社に指定される。
現在は取り壊されてしまったが八幡神社の木造の鳥居は貞早3年(1686)に建てられたと伝わっている。欅製の額には、表面に「八幡宮」、裏面に「文政8乙酉年(1825)8月神誓寺洞水法師慶需遠斎書」と刻字された額があげられてた。
神誓寺跡地は現在は畑になっており、古井戸が残っております。神社の南山の山頂には七代の社僧の墓碑が静かに立ち並んでおります。僧侶の位牌は旭王寺に保存されている。
下山田 八幡神社
● 瑞浪市山田町468番地
● JR瑞浪駅下車 タクシー7分 中央自動車道瑞浪ICより7分
2020.6.2-8.2ミニ展示 神仏習合の証 下山田八幡神社と神誓寺 瑞浪市陶磁資料館
神仏習合の証
下山田八幡神社と神誓寺
展示会期:令和2年6月2日~8月2日
八幡宮の扁額
かつて、八幡神社参道入口に立っていた両部鳥居(地元では鳥居様と呼んでいた)に掲げられていた扁額で、材は欅、文字は八幡宮とあり、額の裏面に次の文字が彫り込まれている。
「山田村中/文政八年乙酉八月神誓寺/洞水法印応需遠斎書」
この意は、「文政8年に山田村が奉納した額で、神誓寺の洞水法印の求めに応じて遠斎という人物が八幡宮の文字を書く」である。
これは、江戸時代に、神社と寺が一体のものであると言う、所謂「神仏習合」(神仏混交とも言う)の証で、この文政八年は西暦1825年、江戸時代の後期にあたる。
文中の「洞水」については、神誓寺墓所の無縫塔にその名が見られるが詳細は不明、遠斎について手掛かりは無い。
神社とお寺
今も瑞浪市山田町下山田にある八幡神社と、江戸時代にその神社の隣に存在した神誓寺との関係を、地元資料「旭王寺と下山田の歴史」や瑞浪市史他でその概要を見ると、
八幡神社について
最古の棟札に「寛永十五戊寅年山田村八幡宮御宝殿再造立」(1638)とあり、それ以前の建立と判り、「元禄より明和まで社僧名あり、天明より維新まで神聖寺別当祭祀のこと各棟札にあり」、他にも「宝永五年(1708)下山田村」銘の陶製の奉納狛犬がある。明治6年(1873)に、村社八幡神社となった。
神誓寺について
「神社の南下の処に当宮の守り寺として八幡山神誓寺が舜栄法師により、寛文8年(1668)に創建され、この頃から、本格的に神仏習合の宮となったと思われ」とある。
地元安藤陸郎の「陸老記」によると、「寛文八年 (1668) には、真言宗学侶派、高野山小本山、安楽寺の末寺として建立」とされ、「開山は阿闍梨舜栄法師で正徳2年(1712)に没」、「文久元年(1861)大徳円成法師没を最後に無住の寺」となり、以降「一色清光院住職兼務の寺」となり明治まで続き、廃仏毀釈等の影響で廃寺となったという。
なお、歴代住職の位牌は同じ下山田村の旭王寺に預けられ、今も大切に守られている。
瑞浪市陶磁資料館
● 瑞浪市明世町山野内1-47
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