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八幡神社 瑞浪市日吉町松野

日吉町松野 八幡神社

瑞浪市日吉町9349
【祭神】応神天皇・神功皇后・比咩大神
【例祭日】9月下旬金曜日
【由緒】創立年月不詳であるが、天明5年(1785)9月15日建立の棟札がある。古来村社。更に明治6年5月15日村社の格に列した。
(岐阜県神社名鑑より)

祭神 応神天皇(おうじんてんのう)神功皇后(じんぐうこうごう) 比咩大神
八幡神社
瑞浪市日吉町9349番地(松野)

湖底の村の鎮守様 今、新氏子の産土様
 松野といえば松野湖で有名ですが、その湖底に八幡神社旧氏子の村が沈んでおります。
 可児川の上流、国指定名勝天然記念物「鬼岩」のすぐ上をせき止めて、愛知用水の溜池としてダムが造られたのは昭和35年のことでした。
 さいわいこの八幡神社は小高い山腹にあったため水没をまぬがれました。祖先伝来の土地を離れた人々は、鳥居の傍らに記念碑を建て、その切なる思いを刻んでおります。
 耕地11町歩・山林23町歩・弘法堂一・薬師堂一が水没・戸数は14戸・人口79人・昭和36年10月10日記とあり、文字は早くも読みにくくなっています。
 昔、村の中にあった三体の石仏、享保八年の薬師如来、明治6年の庚申仏、明治22年の馬頭観音も、鳥居の横に並んでいます。
 さて、この八幡神社の祭神は、よその八幡様と同じで、応神天皇・神功皇后、比咩大神で、明和5年(1768)再興の棟札がありますから、それより数十年あるいはもっと前に八幡宮として建てられたものでしょう。
 さらに古い棟札もありますが、字が全く消滅していて判読もできません。
 隣の平岩が山村氏の所領であったのに対し、松野は千村氏の治めるところでしたから、願主も千村氏となっています。
 水没した14戸のうち、松野地内に残ったのは2戸だけですが、鬼岩で旅館やレストランなどを営む人達の内、日吉町の区域に住んでいる人々が新しい氏子として神社を守り、祭祀を行っていて下さいます。
 平成4年には、この新しい氏子の方々の浄財と奉仕により、拝殿覆殿の再建と本殿の屋根の修理がなされました。
 ダムの水がへると、神社のすぐ下に昔の屋敷跡や畑の跡が姿を現し、往時の暮らしを偲ばせてくれます。
 それは、この地に住んだことのない者にも、しみじみと時の流れを思わせる風景です。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)

松野 八幡神社

 祭神 応神天皇 旧村社 最古棟札 明和五年(一七六八)八月再建 日吉町松野

 明和五年領主千村藤右衛門(三百石 久々里)再建の棟札あるもそれ以前の建立期について今は不詳、享保八年(一七二三)の念仏供養塔など境内にあればそれ以前のことならん。天明・寛政以降の棟札あり、千村氏本願のもの五枚あり。陶製狛犬一対あり。昭和三十六年湖水建設により耕地11町歩、戸数14戸.弘法堂・薬師堂水没し、当神社のみ湖上に今も残る。

念仏供養碑

日吉町松野八幡神社 (享保八・一七二三・地蔵像・為念仏供養・光背型)
 日吉町松野のものは、地蔵坐像の光背部に「為念仏供養 享保八年癸卯九月初二日」とあるものです。

(ふるさとの石碑と灯篭より)

陶製狛犬

 松野八幡神社のものには「久尻筑後末重吉作」銘あり。

 松野八幡神社のものには「久尻筑後末重吉作」、明治四年の水ノ木耳ノ木神社のものには 「下石村松作」とあるから、案ずるにこれらは大川・大平・下石・久尻窯らで依頼によって製作されたり、同地において既製のものを有志が求めて奉納したりしたものと考えられる。

庚申講碑

 日吉松野八幡神社の明和六年(一七六九)

念佛供養塔

 日吉の松野八幡神社入口の享保八年のものは、弘法像も刻まれている。

馬頭観音石像

日吉町松野八幡境内(明治二十・一八八七・立・一面二臂・神社境内)

地蔵菩薩石像

日吉町松野八幡神社(享保八・一七二三・光・坐・両手で宝珠・念仏供養)

庚申(青面金剛)石像

日吉町松野八幡神社(明和六・一七六九・六臂像・三猿・二鶏・日月輪)

 日吉町松野のものは同じ六臂・三猿・二鶏・日月輪の像形ですが、松野の二鶏は大きく彫られていて石匠は別々のようです。

 


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