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日吉神社 瑞浪市日吉町半原

日吉町半原 日吉神社

瑞浪市日吉町4957(半原)
【祭神】大山咋命
【境内社】照霊社・神明社・御鍬神社・秋葉社
【例祭日】4月14日近い日曜日
【由緒】現在の本殿は天保2年(1831)の再建で、美しい流造で、桧皮葺の屋根を支える柱の上に仕組まれた斗組の確かさ、そして正面の竜をはじめ周囲を飾る獅子、瑞烏などの彫り物の見事さは、市内では随一といえる立派な造りである。一番古い棟札天文13年(1544)には、「奉造立山王七社並八幡大菩薩御社」と書かれていて、山王様と八幡様を祀った神社だったが、明治の初めに主祭神を大山咋命とし、社名を日吉神社と改めた。例祭日には、県の文化財に指定されている半原操り人形浄瑠璃が奉納される。素踊りといって、人形に似せた衣装をつけた小学生が三番叟と同じ踊りを舞い、続いて保存会の人達によって翁、老男、娘の三体が一緒に舞う式三番斐の奉納である。
(岐阜県神社名鑑より)

祭神 大山咋命(おおやまぐいのみこと)
日吉神社
瑞浪市日吉町4957番地(半原)

神木を守った古人の赤心
 鳥居をくぐり、81段の石段を上ると、拝殿の後ろに亭亭とそびえ立つ二本の大桧が目に入ります。
 この二本は本殿の左右にあり、いずれも目通り周囲約3メートル、太さ・高さとそれに樹形までよく似た堂々たる大桧です。
 昔から村人はこれを御神木として崇めていました。
 ところが、200年程前の享和2年(1801)に太田代官所がこの大桧を伐り倒そうという大事件が起こりました。村人は大いに驚き、神様に対してもあまりに恐れ多いことと、伐採取止めの願上書を差し出し、八方手を尽して懇願した結果、特別の計らいをもってその願いがきき入れられました。
 村人達の喜びは一方ならずそれを後世に伝えようと、大きな桧板の裏表に覚書きと願上書の全文を書き残しています。神木を仰ぐ時、忘れてならぬのは古人の熱い心です。

郷土の匠が技を尽くした本殿
 現在の本殿は天保2年(1831)の再建、美しい流造で桧皮葺の屋根を支える2本の柱の上に仕組まれた斗組の確かさ、そして正面の竜をはじめ周囲を飾る獅子・瑞鳥などの彫り物の見事さ、市内では随一ともいえる立派な造りです。
 言い伝えによると、半原の大工が内津の妙見様の図面を手に入れ、それを手本にして造ったといわれていますが、いずれにしろ、小さな半原村でよくぞこれ程の本殿を建てたものだと感服いたします。
 一番古い棟札は天文13年(1544)のもので、そこには奉造立山王七社並八幡大菩薩御社と書いてありますから、山王様と八幡様を祀った神社でしたが、明治の初めに主祭神を大山咋命とし、社名を日吉神社と改めました。

繰り人形浄瑠璃の奉納
 4月の例祭日には、県の文化財に指定されている半原繰り人形浄瑠璃が奉納され、それを見ようと遠くからの参拝者も多く、境内はたいへんな賑わいとなります。
 まず素踊りといって、人形に似せた烏帽子と衣装をつけた小中学生が三番叟と同じ踊りを舞い、次に青年部が翁・若男、娘の三体が一緒に舞う式三番叟を奉納し、最後に保存会の人々によって外題物が演じられます。この人形浄瑠璃の奉納も天保2年に始められたものといわれています。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)

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