土岐町清水 八幡神社
瑞浪市土岐町1549
【祭神】誉田別命
【例祭日】10月第2日曜日
【由緒】貞享3年6月(1686)旧美濃国土岐郡土岐村住人福岡伝三郎志願により創建。文武両道の神として朝野の崇敬厚い祭神であり、庶民にとっては厄除開運・安産育児の神徳などと幅広い。当初の鎮座地は山頂近く大変な山奥にあり、万延元年(1860)に、現在地より下の山腹に再建遷座された。ところが、昭和46年中央自動車道開通のため移転を余儀なくされ、昭和49年30メートル程上へ移す工事が完成した。本殿は万延元年に造られたまま解体せず移したものである。
(岐阜県神社名鑑より)
祭神 譽田別命(ほむたわけのみこと)
八幡神社
瑞浪市土岐町1549番地(清水)
貞享3年創建、清水・市原・中嶋三か村の産土様
ここ清水の八幡神社は、貞享3年(1686)に清水・市原・中嶋三か村の名主が本願人となり創建した神社です。
その後、十数年ごとに屋根の葺替えをした棟札が残っていますが、文化年間になると市原・中嶋の名が見えませんので、約二百年前には清水村だけの産土様になったものと考えられます。
当初の鎮座地は山頂に近く、たいへんな山奥にありましたので、万延元年(1860)に、現在地より下の山腹に再建遷座されました。
ところが、昭和46年、中央自動車道開通のため移転を余儀なくされ、昭和49年に30メートル程上へ移す工事が完成しました。境内は上段と中段に分けられましたが、本殿は万延元年に造られたままを解体せずに移したものです。
崇敬の歴史を語る奉納物数多
清水区の中程に、旧道に面して立派な石鳥居が建てられています。これは日露戦争凱旋記念として奉建されたもの、その左右に戦役記念碑、従軍記念碑があり、社号標と石段は大正の御大典記念として造られています。境内中段には立派な木製の朱の鳥居や紀元2600年記念の狛犬・燈籠などがあり、上段拝殿の前には明和・寛政・天保と古い石燈籠が配置され、桿(さお)に社僧の名が刻まれているものもあります。
本殿の裏の山手には二七座の石祠が横一線に厳かに祀られています。これらは明治3年に近隣の邸内祠(ていないし)を移したものです。
さらに昭和の遷座を記念した石燈籠もあり、数多くの奉納石造物が整然と配置されて実に立派な神域をつくっております。
盛大な例祭の復活
戦後間もない頃までは、地元に飼馬がいたので、例祭には神馬・花馬を仕立てて馬場を走らせ、氏子総出の賑わいでしたが、馬が飼われなくなるにつれだんだんさみしくなってきていました。
そこで、昭和の遷座祭を機に、オマントで飾った馬台と御輿の区内巡り、奉納角力(ずもう)やカラオケ大会などを工夫したおかげで、たいへんな賑やかさがもどってきています。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)
陶製狛犬
陶磁製の狛犬は、良質な蛙目粘土や木節粘土が豊富に産出し、焼き物の伝統に培われた美濃・瀬戸地域において圧倒的に多く生産された。
陶磁製の狛犬を奉納するという風習は鎌倉期以降とされる。江戸期には、紀年銘・奉納者・作者名・地名等が躯体及び台座に記載されるものが多くなる。
明治期以後は、神前奉納の習慣も薄れていき、陶磁の狛犬は減少していった。
現在、瑞浪市陶磁資料館にて展示されている。
八幡神社(清水) 制作年:安政6年(1859年)
(『瑞浪市の神社を巡る』より)
石柱に木を継いだ鳥居(土岐町 清水八幡神社)
木造から石造への移行期を実証するものとしては、腐りやすい柱の下半分を石造にして、その上に木造のものを継いだものが土岐清水八幡神社や大湫神明神社などにあります。
灯篭
(貞享 元・一六八四・単・円・奉寄進石灯篭・社僧王蔵院)
(明和六・一七六九・単・円・奉寄進・願主宮地氏)
(天保六・一八三五・対・円・八幡大神宮)
秋葉辻灯篭
(寛政七・一七九五・秋葉山清水村念仏連中・若者・トックリ型)