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稲津根ノ上 妻神

(平成十七年六月吉日 再建)

稲津根ノ上 妻神

 根の上にある妻神の石詞には、次のような伝説が残っている。
 昇風山の南端、長塚の尾根に鳥帽子(えぼし)岩という奇岩がある。この辺りは見晴らしのよい所で、昔、三河や美濃の農民たちが、農閑期の春、つつじの満開の頃、言い合わせたようにここに集まって、春の一日を楽しんだという。そして、ここで美濃の若者と三河の乙女が結ぱれて楽しい新婚生活を続けていた。たまたま二人が肌身離さず持っていた守り袋を、互いに見せ合ったところ、この二人は、別れ別れになっていた兄妹だったことが判り、因果の恐ろしさに愕然とした。若妻は、因果の恐ろしさに堪えかね、ある風雨の烈しい日に何処ともなく姿を消してしまった。後に残った若者は、若妻を哀れに思い一生独身を通し、妻のために石詞を建てて、ありし日の妻を偲んだという。その石祠が今根ノ上に在る妻神石祠だという。

妻神祠 流造型

小里根ノ上地内
H四四cm
刻銘
 妻神
 文化十一戊(一八一四)七月 日

(稲津の石造物より)

妻の神の石祠

 屏風山の南端、長塚の尾根に烏帽子岩という奇岩がある。この辺りは見晴らしのよい所で、昔農民達が農閑期の春、つつじの満開の頃、言い合わせたようにここまで集まって、春の一日を楽しんだという。
 ここで美濃の若者と三河の乙女が結ばれて、楽しい新婚生活を続けていた。たまたま二人が肌身離さず持っていた守り袋を見せ合ったところ、別れ別れになっていた兄妹だったことが判り、因果の恐ろしさに愕然とした。若妻は因果の恐ろしさに堪えかね、ある風雨の激しい日に何処ともなく姿を消してしまった。
 後に残った若者は、若妻を哀れに思い、生涯独身を通し妻のために石祠を建てて、ありし日の妻を偲んだという。

(『萩原郷土誌 水穴』より)

根ノ上妻神(塞(さい)の神)祠

 笹平林道を登りきった道路脇、森山牧場の入口にあり、江戸時代の文化11年(1814)の建立。刻銘は「妻神」とあるが、塞の神という方がわかり易い。岩村街道から分かれた山道はここで峠を登りつめ、塞の神を背にして当時の隣村田代村へと下っていく。“妻神”に関連して、美濃の若者と三河娘の悲恋物語が伝わっているが、詳しくは成瀬正夫著、稲津の石造物P.112 を参照のこと。

(小里川ダムのふるさとより)

妻神祠

稲津町萩原笹平峠(文化十一・一八一四・石祠・妻神・集落境の峠)

笹平峠のものは瑞浪盆地が一望される旧笹平経由の岩村
道の峠に造立されている石桐で「妻神 文化十一年七月日」

(ふるさとの石仏より)