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白山神社 村灯籠 瑞浪市土岐町市原

土岐町市原 白山神社

瑞浪市土岐町6801
【祭神】白山比咩命
【境内社】御尺神社・秋葉神社・稲荷神社・津島神社・金刀比羅神社・山神神社二柱
【例祭日】10月第2日曜日
【由緒】寛文12年(1672)7月創祀、加賀国石川郡白山比咩神社より美濃国土岐郡土岐村住人、宮地喜兵衛尉勧請、明治6年1月13日に村社と認められた。大正15年から昭和2年10月にかけて拝殿、狛犬、鳥居、燈篭、石段等々、昭和天皇の御大典の記念事業として造営事業が行われて、今の鎮守の杜が形成された。
(岐阜県神社名鑑より)

祭神 白山比咩命(しらやまひめのみこと)
白山神社
瑞浪市土岐町6801番地(市原)

お宮とお寺が隣り合せ
 瑞浪市の市街地東方の小高い丘の中腹に、白山神社と禅躰寺(ぜんたいじ)が隣り合せに建てられております。
 瑞浪市内に宗教法人として登録されている白山神社は八社ありますが、そのうち、この白山神社は「寛文十二年(1672)七月、加賀国(石川県)石河郡白山神社(加賀国の一宮、白山比咩(しらやまひめ)神社ヨリ美濃国土岐郡土岐村住人、宮地喜兵衛尉、勧請、古来村社更ニ明治六年一月十三日、村社ニ列ス、其多縁由不詳)」の棟札が保管してあります。
 隣の禅躰寺は正徳3年(1713)に開山されたと、瑞浪市史に記してあります。

他の棟札に
「天明八年(1788)迄同郡清水村八幡宮ヲ産土止奉崇所當社乃御神徳年月贈賜寛政元配當社神前仁・・・」とありますように200年程前は市原区の産土様は、清水区の八幡神社でした。
 土岐川が氾濫しては流れが変わり、市原と清水の境がはっきりしていなかったのです。
 また棟札に「白山妙理大権現」「白山大権現」と書かれており、文化12年(1815)の棟札に、神主の名前のほか「法恩山禅躰寺、信p高遠、比丘宗達」とあります。
 明治以前は神仏混淆(こんごう)で社寺に奉仕したようです。 この白山神社も例外ではありませんでした。

昭和の初期に今の鎮守の杜ができた
 今の白山神社は、大正15年から昭和2年10月にかけて拝殿、狛犬、鳥居、燈籠、石段等々、一大御造営事業が行われて、今の鎮守の杜が形成されました。
 その後昭和58年に、拝殿、社務所を改築、更に境内の広場を拡張、平成8年には神輿殿を新築、例祭(10月第二日曜日)には大人神輿一基、子供御輿三基が、氏子区域を威勢よく練り歩く状も血が躍ります。

珍しい御尺神社の石祠
 拝殿の南の木立ちの中に、稲荷神社、金比羅神社、山神神社、秋葉神社といくつかの石祠に並んで、御尺神社と刻まれたものがあります。
 これは、昔土地の測量に用いた縄、杭などを埋めた所に石祠を建ててそれを祀ったと伝えられるもので、市内でも珍しいものの一つです。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)


御尺神

 市原禅躰寺と白山神社の間の東側の山腹に建立され、総高七一・三cm、塔身巾二八・五cm、屋根巾三一・三cm、土台巾三一・五cm、塔身長さ二八・五cm、表に「御尺神(おしゃくじん)」側面に「杦山(すぎやま)氏」とある。
 杦山氏は、土岐氏の代官、後、森氏の代官をつと
めた。
 天正十七~八年、太閤検地が行なわれ各田畑の実測がなされ村高が定められた。そのさい、使用された測量用具の縄、杭など不要になった道具類を埋めた所に石祠を立て、これを祀ったと伝えられ、市内にも各地にそのあとが残っているが市原の御尺神もその一例として紹介した。

 

 水神・山の神は各所に各種のものがみられ、変わったものでは金神(柄石)・光神(常道)・霊神宮(月吉)・神田宮(同)・元祖霊(同)・癒神(下小田)・御尺神(市原)のほか塞の神を「妻の神」としたものなどもあって当時の庶民たちの一家安泰・村中繁栄・無病息災によせた心願の程を知ることができる。

 なお村々に残る「御尺神」は、検地の時の道具を祀った石祠だといわれ、後年は「田の神」と同義に扱われている。

棟札

白山神社 濃州土岐郡稲口庄津田郷市原邑(天保四年・一八三三 棟札)

市原白山神社
祭神 白山比咩命 旧村社 最古棟札 寛文十二年(一六七二)七月再建 土岐町市原
 寛文十ニ年市原と中島との間にありし白山権現小社を遷して再建する。元禄八年土岐川筋の変化により清水村と分かれ、この年より市原・中島両村の産土神として奉祀、正徳・安永・寛政以降の棟札存す。明治十三年の瓦製狛犬一対あり。

狛犬

市原白山神社の明治十三年の「大草水野市次作」

 土岐町市原の白山神杜は、昔土岐氏が当地を本拠として美濃の国を支配したころ、土岐氏に仕えた家臣の宮地氏が市原村に定住し、氏神として祀っていた白山神社を江戸時代に村の神社としたと伝えられています。
 しかし市原の白山神杜の建立は、寛文十二年(一六七二)七月で江戸幕府創立より七〇年も後のことです。それ以前の市原村の鎮守は清水村の八幡神杜でした。この事実をみても市原村のなりたちは、一村として独立できるようになったのは、元禄時代の少し前であることがわかります。

 寛政十一年(一七九九)の辻灯篭らのある白山神社で、境内越しに西の禅躰寺へ失礼する辺りに珍らしい「御尺神」ほかがあります。

灯籠

(寛政十一・一七九九・秋葉大権現・宝珠に特徴)
(寛政二・一七九〇・単・円・八月)
(明和三・一七六六・単・奉造立常夜灯丙戌九月吉日)
 神前灯篭では、寛保二年の釜戸中切八幡、宝暦十年の大湫宗昌寺、明和三年の市原白山神社、同五年の木暮津島神社、安永四年の釜戸宿神社のものまで、まったくその様式が同一であることから、いずれも泉州石工による灯篭だと考えられ、一方の信州高遠石匠と共に総ての石造物に石工名が刻まれていたら当時の石匠たちの実体を知る面白い手掛りになるものと思います。

水鉢

(嘉永元・一八四八・戌申八月・願主若連中・稲垣氏)

 


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