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大縣神社(おおあがたじんじゃ) 瑞浪市釜戸町上平紅葉

釜戸町上平紅葉 大縣神社(おおあがたじんじゃ)

瑞浪市釜戸町2307(上平紅葉)
【祭神】大県神
【例祭日】10月第2日曜日
【由緒】大縣神社の石段の下に立つと、まず目に入るのが神門の如く立つ二本の桧で、その奥に拝殿と本殿がある。石段のまん中あたり、踊り場の傍らに小ぶりの社号標が建てられ、大縣神社と読めるが、近づいてよく見ると、その左下に正三位勲一等男爵千家尊福書と彫ってあるのに気づく。千家尊福は、出雲大社の大宮司で明治時代を通して神道界に大きな足跡を残し、東京府知事、司法大臣等を歴任して政界でも活躍した人である。社号標の文字は、千家氏とも懇意の仲で、社格昇格の運動を機に大縣神社と揮毫を依頼されたものと推測される。
(岐阜県神社名鑑より)

祭神 大縣神(おおあがたかみ)
大縣神社(おおあがたじんじゃ)
瑞浪市釜戸町2307番地(上平紅葉)

社号標に残る出雲大社大宮司の筆跡
 大縣神社の石段の下に立つと、まず目に入るのが神門の如く立つ二本の桧で、その奥に拝殿と本殿があります。
 石段のまん中あたり、踊り場の傍らに小ぶりの社号標が建てられ、大縣神社と読めますが、近づいてよく見ると、その左下に正三位勲一等男爵千家尊福書と彫ってあるのに気づきます。
 千家尊福(せんげたかとみ)という方は、出雲大社の大宮司で明治時代を通して神道界に大きな足跡を残し、東京府知事、司法大臣等を歴任して政界でも活躍した人です。そういう人の筆跡がこの神社に残されているのはどういうわけでしょうか。

無格社から村社への昇格運動
 大縣神社は寛文11年(1671)熊谷・西戸両氏によって建立されたもので、今も神社に隣接して熊谷家(当主好文氏)の立派な構えがあり、その熊谷家に千家尊福直筆の軸と社格昇級の願出書並びに棟札の写が大切に保管されています。
 明治の初めから今次大戦の終わりまで、神社には官幣社国幣社、府県社、郷社、村社無格社という神社の格が決められていました。
 この神社は無格社でしたが、明治41年村社への昇格が図られ、県知事宛に次のような願出書が出されました。
 当社は古来縣(あがた)神社又は御縣(おあがた)神社と呼ばれたきたが、よく調べてみると、美濃国神明帳にある大縣明神を祀った古社で、明治六年の社格指定の際誤って無格社に編入したのは恐縮至極、慙愧の極み、ここに社名を大縣神社として村社への昇級を切願する。
 当時の社掌(しゃしょう)(宮司)は、日吉村半原出身の土屋廣丸という全国的にも名のある神主で、熊谷家に泊まり込み、氏子総代の方々と研究協議を重ねて詳細な由緒書きと財産目録を作成、願出書に添付されました。
 ところで社号標の文字のことですが、土屋氏は千家氏とも懇意の仲で、社格昇格の運動を機に大縣神社と揮亳を依頼されたものと推測されます。
 この昇格運動は成功しなかったようですが、社名は大縣神社となり、その熱情は今の氏子の方々に受け継がれて、昭和になってからも、本殿の屋根葺替えや拝殿の増築など篤い敬神の念が捧げられています。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)


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