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神明神社 熊野大杉 瑞浪市日吉町本郷

日吉町本郷 神明神社

瑞浪市日吉町133
【祭神】天照大御神
【境内社】熊野神社
【例祭日】4月中旬日曜日
【由緒】創立年月日不詳であるが、寛文九年(1669)己酉霜月五日の創立の棟札があり、古来村社、更に明治六癸酉年五月十五日村社格に列する。昭和21年政教分離により村社の社格自然消滅。神社本庁所属として今日に至る。平成4年、拝殿幣殿改築、推定樹齢七百年余、樹高60メートルの市指定文化財熊野杉がある。
(岐阜県神社名鑑より)

祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
神明神社
瑞浪市日吉町133番地(本郷)

大杉と古井戸に神威を覚える
 県道大西線を明世町月吉から日吉へ入って数百メートル進むと神明神社の前です。
 美しい形の神明鳥居は、昭和天皇が立太子礼を執り行われた記念として、大正5年に建てられたものです。
 桧の肌の美しい拝殿は、平成の御大典記念事業として建て直され、境内のまわりの石玉垣も同時に設けられました。
 この神明神社でまず目につくのは大きな杉の木です。推定樹齢七百年、樹高約六十メートルという巨木で、市指定の文化財となっています。そして、その根元近くに古い井戸があります。
 昔、おくま婆という旅人がこの地で病気になってしまったので、神明神社の井戸水をいただいては病気平癒を祈願していたところ、その効あってすっかり治りました。そこでお礼に熊野から杉苗を取り寄せて植えたのがこの杉だと伝えられています。
 また、井戸からは毎年8月15日祭礼の日になると塩水が噴き出たので、その塩水で神馬を清めたといわれます。
 昭和32年まではこの風習を受け継いで、祭礼に出る馬を清めていましたが、飼馬がいなくなったためにその伝統も絶えてしまいました。
 本殿は間口0.9メートルの桧皮葺流造で、覆殿に守られています。
 棟礼によると、神明神社の建立は寛文9年(1669)で、宝暦6年(1756)に建て直されていますが、その再建棟礼の裏に次のような話が記されています。
「造営の事ありける時、古き社内に蜂の巣ありて人の寄る事叶はず、いかにせんと是を問ふに一夜の内に数万の山蜂立さりて聊も障りなし、かかる神力を末代に知らしめんとはかり。
 虻蜂の 邪気やしづめて 森の月   峯松館寸志 敬白」
 本殿の後ろは巨大な石柱を立て並べたような岩山になっており、そこに伊邪那美神を祭神とする末社熊野神社が祀られています。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)


境内灯篭

(宝永3・1706・単・円・丙戊九月)
(文化12・1815・単・神明宮・常夜灯)

水 鉢

(元禄13・1700・神明・日吉本郷・庚申年)

神明神社の熊野杉

(市指定天然記念物)
 推定樹齢700年の巨木で、市の天然記念物になっています。樹高では県内有数ですが、幹の先端は落雷により枯れ、白骨化しています。また上部に「枝変わり」といって、枝の成長が遅く、こんもりと矮性化(わいせいか)した部分があるのも特徴で天狗の座と呼ばれています。
 その昔、おくま婆という旅人がこの地で病気になってしまいました。そこで、神明神社の井戸水をいただいては病気平癒を祈願していたところ、その効あってすっかり治ったということです。そのお礼にと熊野から杉苗を取り寄せて植えたのがこの杉だと伝えられています。
 根元近くには井戸があって「昔は毎年8月15日祭礼の日になると塩水が噴き出た」といわれ、昭和32年(1957)まで白倉村の祭礼の流鏑馬の時、まず、この清水で馬を清め、郷社酒波神社へ行き、馬場を一廻りしたとあります。それがこのあたりの字名「小塩」の由来となっているともいわれています。
 平成14年(2002)夏、井戸俊(さら)えをしたとき、神馬を清めるのに用いた柄杓が沈んでおり、底に敷かれた石のーつに「神変水(しんぺんすい)」とみごとな文字が彫ってありました。井戸の掘られた年代のわからないのが残念ですが、平成15年(2003)に「神変水」の碑が建てられ、昔を伝えています。
 昔、白倉村の祭礼の流鏑馬の時、まず、この清水で馬を清め、郷社酒波神社へ行き、馬場を一廻りしたとある。

本郷 熊野神社

鳥 居

(延享2・1745・明神型・石匠泉州箱殿武本弥八郎)
 本郷熊野神社のものは小型ですが「泉州箱殿(現東大阪市)住人武本弥七郎 延享二乙丑十月十六日」とあって、鳥居の石匠もやはり泉州石匠が信州高遠石匠と共に遠く当地方まで来て腕を振っていることが判ります。

水 鉢

(正徳6・1716・本郷熊野三所大権現・安藤吉助・又六)
 本郷熊野神社のものに「熊野三所大権現」とあるのは熊野三山(三社)の本宮の家都御子神=坐神社、新宮の速玉神=速玉神社、那智の夫須美神=那智神社の三祭神のことです。

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