■ 寺院 石仏

北野観音堂(弘法堂)の石仏 岐阜県 瑞浪市 日吉町北野

北野観音堂(弘法堂)の石仏 岐阜県 瑞浪市 日吉町北野

 瑞浪市日吉町にある北野観音堂(弘法堂)には、今は御本尊様はいません。境内には、全国的にも有名な徳本念仏碑と呼ばれている名号碑(文化8年[1811]頃)や嘉永3年(1850)のもの、宝暦4年(1754)の聖号碑、寛保元年(1741)、延享3年(1764)らの童子地蔵や天明6年(1786)如意輪観音石像が残っています。


名号碑

日吉町北野観音堂(文化八頃 角柱塔・徳本念仏塔(台石に徳本とあり)

日吉町北野観音堂(嘉永三・一八五〇・自然石碑・自然石正面をクマドリ )

 〔徳本念仏塔〕さて、名号碑に限らず文字碑の場合、誰に揮豪して貰うか。前にも触れましたが、出来れば碩徳の筆になるものをということで、願主・石匠名のほかに江戸末期からは揮毫者名の見られるものや、無銘でも達筆のものが見られるようになります。
 特に名号碑では、念仏講を各地に広めた徳本・祐天・木食観正らの高僧(行人)のものが知られ、この三行人らの書体による名号碑は、例えば「徳本念仏塔」などと呼ばれる名号碑になったほどで、一種独特の書体によるこれらの塔は、より尊いものとされたほどです。
 日吉北野観音堂・同細久手庚申堂の両徳本念仏碑は、私が昭和五十年、本書のための市内石仏石碑調査の中で遂に発見したもので、全国布教の徳本行者(宝暦八年一七五八ー文政元年一八六一、念仏講の全国布教僧)の足跡が本市にまで及んでいることが確認できて喜んだものです。

(ふるさとの石碑と灯籠より)

聖号碑

日吉町北野観音堂(宝暦四・一七五四・角塔・九字聖号・甲戌三月十八日)

 北野観音堂には、寛保元年(一七四一)、延享三年(一七四六)らの童子地蔵や宝暦四年(一七五四)の観音碑があり、徳本念仏塔は見落せません。

日吉町北野と陶町関屋庚申堂のものも共に「南無大悲観世音…」の九字聖号塔です。

(ふるさとの石碑と灯籠より)

如意輪観音石像

日吉町北野観音堂境内(天明六・一七八六・光・坐・二臂・思惟・台石)

地蔵菩薩石像

日吉町北野観音堂(寛保元・一七四一・光・立・延享三と墓碑地蔵二体)

 北野観音堂の二体は共に墓碑地蔵です。

聖観音石像

日吉町北野中屋観音堂(宝暦四・一七五四・自然石・立・浮彫り)

 

北野の弘法堂と石仏

 北野神社から琵琶峠に向かう途中にあり、まわりには幾つかの石仏もたっています。

(生涯学習読本No6ふるさと再発見より)

 全国的にも有名な徳本念仏塔を、日吉町細久手庚申堂と同町北野観音堂とで各一例づつ発見したことも勿論私にとって忘れられない喜びのーつでした。

 


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