■ 神社 神様

貴船神社 瑞浪市日吉町深沢

日吉町深沢 貴船神社

瑞浪市日吉町7327
【祭神】闇龗神・狭依比売命・天忍穂耳神・多紀理比売神・活津彦根命・多岐都比売命・天穂日神・天津彦根命・熊野久須毘命・猿田彦神
【例祭日】4月15日近い日曜日
【由緒】創立年月日不詳。当社は元貴船神社と称してきたが、何時の頃よりか八王子五男三女神を合祭して八王子神社とも称する。安政3年(1856)2月貴船神社と改称する。古来村社。更に明治6年5月15日村社の格に列し、明治39年5月25日付をもって同正字平に鎮座の村社白髭神社を当社に合祀。
(岐阜県神社名鑑より)

祭神 闇龗神(くらおかみのかみ)、狭依比売神、天忍穂耳神、多紀理比売神、活津彦根神、多岐都比売神、天穂日神、天津彦根神、熊野久須毘命、猿田彦神
貴船神社
瑞浪市日吉町7327番地(深沢)

例祭に獅子舞奉納 元旦祭には悪魔払い
 貴船神社で有名なものは、市指定無形民俗文化財となっている獅子舞です。
 獅子舞の奉納される四月の例祭には、広く町内外からカメラを持った人々が集まってきます。
 ここの獅子舞は、元禄年間に可児久々利地方の獅子舞を迎えて産土神社に奉納し、疫病退散を祈願したことに始まるといわれており、獅子は雌獅子です。
 戦後一時途絶えていましたが、若い人々の熱意で復活し元旦祭にも悪魔払いとして奉納されています。
 なお、例祭には子供の花御輿が各戸を廻り、餅投げもあってたいへん賑わいます。
 当貴船神社は、もともと貴船神社と呼ばれていたものがいつの頃からか八王子神社となり、安政3年に改めて貴船神社と称されるようになりました。寛永12年(1635)の棟札にも八王神と記されております。
 この深沢の地は、江戸時代山村氏と千村氏の所領で、貴船神社は山村領の産土様でしたから鳥居のそばの石燈籠にも山村の名が見えます。一方千村領の方は字平に白髭(しらひげ)神社を奉祀していましたが、明治38年に貴船神社に合祀されて深沢全体の貴船神社となりました。
 こうした歴史があるので、祭神が十神にもなっています。
 境内には、安政6年(1859)建立の大自然石を用いた秋葉大権現碑や、大正3年、玉垣幣殿落成を記念した碑が建ち、そこには出雲大社大宮司千家尊福(せんげたかとみ)の筆になる仰徳の文字が彫られ、郷土の神官であり歌人でもあった土屋廣万呂(ひろまろ)氏の歌も刻まれています。
 玉垣の中には、享保・安永など、二百何十年という昔の燈籠もあります。
 昭和32年社務所改築、昭和52年本殿の覆殿新築平成2年御大典記念として、玉垣や燈籠の奉納など、氏子の赤誠が次々と捧げられてきました。
 また、隔年に希望者を募って、京都鞍馬の貴船神社へ参拝するなど、水の恵みを求めた先人の信仰が、今も脈々と伝えられています。
 闇龗神(くらおかみのかみ)は人間のためによい雨を降らせて下さる神様です。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)

境内灯篭

日吉町深沢貴船神社(延宝二・一六七四・単・円・奉寄進石灯篭・山村明貞)

日吉町深沢貴船神社(元禄十・一六九七・単・円・奉寄進石灯篭・松平昭章)

日吉町深沢貴船神社(享保十一・一七二六・単・円・六月二十八日)

日吉町深沢貴船神社(安永九・一七八〇・単・円・奉寄進当村若者中)

日吉町深沢貴船神社前(安政三・一八五六・単・常夜燈・日本大小神祗)
 日吉町深沢貴船神社の安政三年のものは、基礎が正式の猫足につくられています。

 北方の丘には立派な辻灯篭と貴船神社の森がもう見えます。神社入口左の貴船の如意輪観音は明和五年(一七六八)、辻灯篭は安政三年(一八五六)でその基台は大湫宿神明神社前のものと同じ珍らしい猫足に造られています。境内入ロの延宝二年(一六七四)と元禄七年(一六九四)の境内灯篭は市内でも最も古い部に属するものですから、本殿横の灯篭や秋葉碑、唐獅子と共によく観察して下さい。

(ふるさとの石碑と灯篭より)

如意輪観音石像

日吉町深沢貴船神社前(明和五・一七六八・光・坐・二臂・思惟・蓮華座)

馬頭観音石像

日吉町深沢貴船神社ロ(天保四・一八三三・立・一面二臂・旧村内道沿)

 

深沢貴船神社の鳥居
 祭神 八王子神・闇龗・猿田彦命 最古棟札

 寛永十二年(一六三五)正月造立棟札裏書に、土岐氏、深沢五郎奉祀とある。山村氏領は八王子神、千村氏領は白髭神・後貴船神社と改称し、両神を合祀して産土神とす(安政三年)
 一村二領主の場合、領民毎に産土神を奉祀した一例である。

 

深沢獅子舞(市指定)

・所在地:日吉町深沢
・技術保持団体:深沢獅子舞保存会
・昭和50年5月29日指定

 獅子舞は風流(ふりゅう)系統と伎楽系統の2つに分けられますが、深沢獅子舞は1人で行う風流系統の獅子舞で、獅子は雌(めす)獅子であると言われています。
 江戸時代の元禄年間(1688~1703)に疫病が流行した際、深沢村を治めていた山村(甚兵衛良忠[じんべいよしただ])と千村(平右衛門仲成[ひらえもんなかなり])の両氏によって久々利地方(現在の可児市久々利)に伝えられていた獅子舞を迎えて産士(うぶすな)(土地の守り神)貴船神社に奉納し、疫病退散を祈願したことに始まったと言われています。昭和50年には保存会が結成され、現在も村中安全、氏子繁盛の祈願を兼ねて毎年4月の貴船神社の祭礼で奉納されています。
 舞は疫病悪魔退散のものとして「悪魔払い三ッ唄」の他に「娘道城寺」「伊賀越道中双六」「忠臣蔵」「石童丸」「朝顔日記」「阿波の鳴門」の6芸題物が伝えられています。各戸を回っての悪魔払いも行われていることから、庶民芸能・農村娯楽としてしだいに発展しつつ今日まで伝承されてきたものと考えられます。
 楽曲は「道行き」「津島」「つけ」「十六七」「昇殿唄返し」「幕しばり」などに分かれ、舞は獅子、太鼓大小各1、笛数本と唄によって演します。

(瑞浪市の文化財より)

 第二次隆盛期の俳諧熱は、市内に維新以後の明治ニ十年ごろまで続
き、月吉大応寺・小里稲荷神社・深沢貴船神社をはじめ釜戸・土岐・日吉地内などにおける奉納句・歌額などにその隆盛ぶりを知ることができる。

 深沢奉納獅子舞は同村貴船神社の神事として現在も伝承されているが、かつては氏子中の厄払い舞いとして正月は各家々を廻って舞われてもいたもので、延享年中(一七四四~)に支配者山村氏への報告書に記載されているのが初見である。

深沢貴船神社

 祭神 八王子八神 闇龗 猿田彦命 旧村社 最古棟札 寛永十二年(一六三五)正月造立 日吉町深沢

 文和二年土岐氏深沢五郎奉祀と棟札裏書にするも、もとより今は不詳、寛永十二年小倉・山内氏ほか山村氏領村民により八王子神、渡辺・南氏ほか千村氏領村民により白髭神を奉祀す、八王子社は安政三年貴船神社と改称し、明治三十八年に白髭・貴船両神合祀し産土神とす。一村ニ領主の場合領民毎に産土神を奉祀せし一例をここにみる。慶安・寛文・貞享以降の棟札多く残す。文化六年の陶製狛犬一対あり。

 深沢貴船神社(日吉)の文化六年(一八〇九)の小倉氏奉納のものは「久尻岡田理蔵次・重倚作」 と在銘がある。


関連記事

  • カテゴリー

TOP