■ 寺院 石仏

山神様と馬頭観音と山灯篭 岐阜県 瑞浪市 日吉町深沢平

山神様

 瑞浪市内の山の神は、大体は農民の信仰する山の神が中心となっていると言われています。田の神が収穫後、山に還ってつぎの種まきの時期まで冬寵りする姿として考えられ、交代する神を送迎する種々の儀礼や伝承が残っています。

馬頭観音

 岐阜県では旧街道のあちこちに最も多く建てられている石仏が馬頭観音です。「頭上に戴く宝馬のように、生死の大海を縦横に駈けて衆生のために四魔を承伏する威力的・精力的な観音」と説かれ、変化観音のーつで六観音にも三十三所観音にも加えられています。今は輸送機関・自動車・交通安全の守護仏として、より広く信仰されています。

 深沢平には、文政7年(1824)の竿部が自然石の山灯篭もあります。

山灯篭

日吉町深沢平旧白髭社辻(文政七・一八二四・単・常夜灯・施主渡辺氏・竿自然石)

 

馬頭観音

 江戸時代の農山村の石仏としては「辻の地蔵さん」が先づ挙げられるのが普通ですが、関東・中部の山岳地方、その中の岐阜県などでは、この地蔵を抜いて数多く造立されたのが「馬頭観音」で、当市内でも旧街道のあちこちに最も多く建てられている石仏が馬頭観音です。
 馬頭観音は「頭上に戴く宝馬のように、生死の大海を縦横に駈けて衆生のために四魔を承伏する威力的・精力的な観音」と説かれ、変化観音のーつで六観音(七観音)にも三十三所観音にも加えられています。
 江戸時代になって、庶民(特に農山村では)の間に馬が広く飼育されるようになりますと、頭上に宝馬を戴く像形であることから、急速に「牛馬、特に馬の供養や無病息災を願う観音」として庶民信仰に定着して造立されるようになったもので、現在流の輸送機関・自動車・交通安全の守護仏として、より広く信仰されたものです。
 像形は、時には牙さえ彫られた念怒相で、一面二臂から三面二・四・六・八臂など実に多様ですが、市内では一面二臂と三面六臂の造立例が多く、六・八臂の持物としては、主手は合掌形の馬頭印(明王馬口印・人差し指を立てる)で、二手以下は蓮華・瓶・斧・数珠・羂索・宝輪・弓・矢・宝剣・宝棒・矛・鍵などと決められています。

 

山の神

 わが国の民間伝承で「山の神」と呼ばれるものは多種多様な機能を持っている。古典には、周知の如く、山神としては大山祗神(おおやまつみのかみ)、また高山、富士山の木花開耶姫、比叡山の大山咋神(おおやまくいのかみ)、三輪山の大物主神をはじめ、それぞれ固有の神々が社にまつられているが、民間には、より素朴的な末分化的な山の神が信仰されている。これを大別すれば、農民の信仰する山の神と、山稼ぎをする人々とのそれがある。前者は、田の神が収穫後、山に還ってつぎの播種期まで冬寵りする姿として考えられ、交代する神を送迎する種々の儀礼や伝承が残っている。また収穫後の田の神祭や案山子(かかし)上げの祭を「山の神祭」 とか、「山の講」とよんでいるところもあり、中には田植えの際に山の神が早乙女の姿になって、手伝いに来られたなどという伝説を持つところもある。こうした田の神と山の神の交代信仰は、恐らくは山を他界とする観念を媒介として発想されたものであるらしく、従って山の神には、生殖神としての地母神、もしくは穀母神的性格がかなり濃く残存している。
 山の神が女性で、 一年に十二の子神を産む、として、十二様とか十二山神とよぶ地方が上越地方にあるのも、また山の神は安産の守護神で難産の時には馬に鞍を置いて山の方に向かって神を迎えに行き、その馬が立ち止まったり身震いをした所で神が乗り移られたとして牽いてもどるという習慣や、山の神の枕や掛図を借りてきたり、杓子を子育ての守りとして受けてくる所があるなど、山の神が生殖出産に深くかかわっていることは、この推定を可能とするものであろう。
 これに対して、狩り人、炭焼き、木樵り、木地屋などの信仰する山の神は、名は同じでもいちじるしく特殊化され、山の獣類を支配し、樹木を管掌する神としての機能が強く意識され、従って、そのイメージも異なり祭りの方式などにも独特のものが多い。
 瑞浪市内に見受ける山の神は、大体は農民の信仰する山の神が中心となっているのではなかろうか。

(瑞浪市の石造物より)


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