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吉備神社 瑞浪市明世町山之内

明世町山之内 吉備神社

瑞浪市明世町山野内351
【祭神】吉備武彦命・譽田別命・素盞嗚尊
【例祭日】10月15日
【由緒】山野内区の中程あたりに、旧19号線に面して吉備神社の社号標と一の鳥居が建っている。この石鳥居は、延宝6年(1678)当時の庄屋安藤九郎右衛門尉定友が寄進したもので、市内の鳥居では最も古く、どっしりとした立派な鳥居である。この鳥居をくぐって真直に50メートルほど進むと二の烏居に至る。これも宝暦6年(1756)と古く、傍らに宝永元年(1704)の水盤・明和元年(1764)の自然石利用の燈籠、正徳三年(1714)の庚申仏など、江戸時代中期に奉納されたものがいくつか配置されている。そこから深い森の中の石段を登ると馬場が広がり、さらに一段上に山野内村を見下ろす形で社殿が建てられている。拝殿の前には延宝四年(1676)の石灯籠が一対あるが、これは神社の境内燈籠としては日吉深沢貴船神社のものに次ぐ市内で二番目に古いものである。このように吉備神社には古い石造物が多く、境内の構えも鎮守様に最もふさわしい姿となっている。
(岐阜県神社名鑑より)

祭神 吉備武彦命(きびたけひこのみこと)譽田別命(ほむたわけのみこと)素盞嗚尊(すさのおのみこと)
吉備神社(きびじんじゃ)
瑞浪市明世町山野内351番地

市内最古の重厚な石鳥居
 山野内区の中程あたりに旧19号線に面して吉備神社の社号標と一の鳥居が建っています。
 この石鳥居は、延宝6年(1678)当時の庄屋安藤九郎右衛門尉定友が寄進したもので、市内の鳥居では最も古く、どっしりとした立派な鳥居です。
 さて、この鳥居をくぐって真直に50メートル程進むと二の鳥居に至ります。これも宝暦6年(1756)と古く、傍らに宝永元年の水盤・明和元年の自然石利用の燈籠、正徳3年の庚申仏など、江戸時代中期に奉納されたものがいくつか配置されています。
 そこから深い森の中の石段を登ると馬場が広がり、さらに一段上に山野内村を見下ろす形で社殿が建てられています。
 拝殿の前には延宝4年の石燈籠が一対ありますが、これは神社の境内燈籠としては日吉深沢貴船神社のものに次ぐ市内で二番目に古いものです。
 このように当吉備神社には古い石造物が多く、境内の構えも鎮守様に最もふさわしい姿となっています。


主祭神吉備武彦命のこと
 吉備神社というのは市内は勿論、県内を見てもここ一社しかありません。
 主祭神吉備武彦命は、別名五十狭芹彦命(いさせりびこのみこと)とも呼ばれ、吉備国の国造りの神として、また鬼退治をしたり、日本武尊(やまとたけるのみこと)に従って数々の武勲を建てた武の神として崇められています。
 本宮は岡山県の吉備津(きびつ)神社で、備中国一宮、旧官幣中社、本殿・拝殿が国宝となっている有名な神社です。

創建は万治4年(1661)
 当社には、万治4年3月、安藤、松原、高木氏を中心に村中が産土神として建立したとの棟札が残っています。同じ年に八幡社も建てられましたが、後合祀されたので、八幡神すなわち譽田別命も祭神になっています。
 先に述べた古い燈籠や鳥居は、創建後十年余りで建立されており、当時の村人に篤い敬神の念と相当な資力のあったことがうかがわれます。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)

治山治水 頒徳碑

 たびたび隣村と山の境界(狭間洞境論)や水利権(天狗沢井水論)をめぐって争いが絶えなかった時、江戸評定所へ出訴し、勝訴に導いてくれたご先祖の偉徳に感謝する意と、隣村と仲良くすることを誓って建てられた碑です。
 碑の裏側には、江戸出訴の名主、組頭、百姓名が刻まれています。
 春の彼岸には、裁可された裏書証文、絵地図(畳4 帖位)を拡げ、その子孫の方を最前列にお招きし、感謝祭が230年前より今日まで続けられています。
 太陽社(旧明世小学校)より東へ200メートルを左に入り市内最古の石の鳥居を横に50メートル程進み第2の鳥居(江戸中期奉納の自然石の灯籠、水盤、庚申仏がある。)を潜り、深い森の中の石の階段二つ登ると、吉備神社拝殿に着きます。その右側に、稲荷、忠魂碑と並んで建立してあります。

(生涯学習読本No6ふるさと再発見より)

吉備神社

 本宮は岡山環の吉備津神社である。創建は万治4年(1661)である。一の烏居は延宝6年(1678)と市内では最も古い烏居と言われている。
 一の鳥居をくぐってさらに進むと二の鳥居宝暦6年(1756)があり、傍らに宝暦元年(1751)の水盤・明和元年の自然石利用の灯籠・正徳3年(1713)の庚申石碑などがある。

(瑞浪市下街道マップより)

吉備神社の鳥居

石鳥居(明神鳥居)

 刻銘
右柱 延宝六年戊午五月吉日
左柱 安藤九郎右衛門尉(じょう)定友
額束 當社大明神
下幅 四〇〇cm
高さ 四一〇cm

 島木の長さ五六一cm、柱の太さ下部で周一二八cm、祭神、吉備津彦命(五十狭芹彦命)第七代孝霊天皇の皇子、四道将軍のひとりとして異母弟、若日子吉備津彦命と共に針間国(播磨国)を始め中国山陽道一帯を鎮定し吉備国造の神祖なり。本社は岡山県吉備線きびつ駅五〇〇m南。吉備津彦神社は本社より二km東に鎮座。
 万治四年三月十一日創建(一六六一年)
明世町山野内 安藤・松原・高木氏等奉祀す。
旧村社

井戸枠石(山野内吉備神社)

 神社、お寺には井戸があり、枠石でかこってあるのもある。
 吉備神社は
  享保五子八月吉日
  御 手 洗
の刻銘がある。

庚申像

正徳三癸巳年八月吉日 91x36cm 三猿の像
 下段に「見ざる云わざる聞かざる」の三猿を刻んだ庚申講連中による「庚申碑」もあります。明世町山野内の吉備神社や同町明白寺入口のものは、よく刻まれています。

 

山野内吉備神社

 祭神 吉備津彦命(五十狭芹彦命) 旧村社
 最古棟札 万治四年(一六六一)三月建立 明世町山野内

 万治四年村中により産土神として建立し、安藤・松原・高木氏ら奉祀す。宝永・宝暦・明和以降の棟札残りそのうちに元禄六年
(一六九三)の明白寺開山雲峰元沖による偶文あり、万治四年当社とともに八幡社も建立され、延宝九年(一六八一)安藤氏修造らの棟札あるも今はこの吉備社に納む。

棟札

 明世町山野内 吉備神社 中仙道濃州土岐郡遠山庄山野内村 (万治四年・一六六一 棟札)


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