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若宮八幡神社 瑞浪市明世町月吉

明世町月吉 若宮八幡神社

瑞浪市明世町月吉978-1
【祭神】大鷦鷯命
【境内社】御鍬神社
【例祭日】10月第2日曜日
【由緒】百久根美濃国下組土岐郡明世村月吉の里字清水洞に鎮座の若宮八幡神社は延宝8年(1680)8月24日創建した。古来村社であったが、其の実棟札を調べると、その時の創建ではなく、再建である。この月吉は旧幕府徳川家の領地で、御領所と唱え、笠松郡代所の支配となり、所司代の派遣があった。
 この月吉は古来より和歌に詠まれ「みの国月吉の里やみならは床ぬへきものをたのめぬも人ふ待たるる月吉の里」清原元輔、山家集に「よゐひるのさかいもここに有明の月吉日吉里をならべて」西行法師、また八雲御抄に「月吉の里」杯の古歌などがある。
(岐阜県神社名鑑より)

祭神 大鷦鷯命(おおささぎのみこと)
若宮八幡神社
瑞浪市明世町月吉978番地の1

社名の違う鳥居三門
 月吉の若宮八幡神社には古い石鳥居が三つ建っています。
 参道入口の一の鳥居には八幡宮、石段登り口の二の鳥居には山王宮、石段頂上近くの三の鳥居には若宮と、それぞれ額束に彫られています。
 一の鳥居は享保11年(1726)、二の鳥居は享保12年(1727)三の鳥居は寛延元年(1748)の建立で、これらは神社の由緒を知る貴重な奉納物ですが、関連する資料がなく、社名を変えている理由がわからず残念です。

長い石段と数多の石造物
 正徳5年(1715)4月山内氏及び村中により八幡宮の屋根を葺いた旨の棟札がありますから、おそらく江戸時代前期に八幡宮として創建されたものと思われます。
 山王宮は文永元年(1264)に再興されたという伝えもありますが、はっきりとはわかりません。
 若宮八幡が祀られたのはいつか、社名が若宮八幡神社となった由緒などはわかりませんが、今は祭神が大鷦鷯命、境内社御鍬神社に豊受大神(とようけのおおかみ)が祀られています。
 延享年間(1740年代)に造られた169段にも及ぶ石段の途中や社殿の前には、江戸時代中期の燈籠が四基あり、馬場や社殿の前にも古い水盤・燈籠のほか、明治・大正・昭和の石造物が多数奉納されています。
 本殿と末社の神殿もずいぶん大きく、傍らに立派な石祠が二社祀られていて、先人の篤い敬神の念が伝わってまいります。
 月吉村の人々は、朝な夕なこの杜を仰いで、村中安全の祈りを捧げていたのではないでしょうか。
 現在も秋の大祭には、区民が当番で準備万端整え、神輿巡行、子供相撲、餅投げ等、神賑行事が行われています。

古歌にも残る月吉の名
 古代東山道の時代から月吉の里は旅人にも親しまれ、いくつかの古歌にその名が残っています。
榊葉にかけし鏡の面影と
 神も見まさん月の休む間
     西行法師
 これは月吉月之宮で詠んだ歌と伝えられているものです。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)


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