地元では津島様と呼ばれ、外から侵入する病魔を防ぐ境神・厄難除けとして祀られたもので、近くにあったものを河川改修により現在地に移された。
石像の裏には天明5年(1785)の銘があり、浮彫された右手に宝輪を左手に経巻を持ち、高下駄を履いて岩座に腰を掛けた。頭巾姿の典型的な役行者像である。なお、隣には宝暦10年(1760)の弁財天石祠などがある。
(瑞浪市下街道マップより)
横断陸橋でバイパス辻を土岐川沿いに下りると大正十三年の「右岐阜 左名古屋」の道標があり、土岐川に面した草むらに宝暦十年(一七六〇)の弁財天祠と天明五年(一七八五)の珍らしい役行者碑があります。共に市内での造立例の少ないものです。
山野内の役行者像
刻銘(裏側)
天明五乙己十ニ月(一七八四)
願主 安藤治郎右?
(立木のため右半分以下見えず。恐らく治郎右衛門と推量 代々庄屋を襲名している)
大きさ(レリーフ)
像高 五二cm
顔・頭 十二cm
巻き物 九cm
膝下 十三cm
下駄高 五cm
ひざ巾 十三cm
あごひげ 三cm
山野内西山弁財天
仏龕造り
宝暦十庚辰六月 山野内村中 安藤市兵衛
(瑞浪の石造物より)