■ 三十三霊場

見宗山 普済寺【美濃瑞浪三十三霊場 第十二番】瑞浪市稲津町萩原

12普済寺

宗派/臨済宗妙心寺派:興徳寺所属(御本尊:十一面観世音菩薩)
所在地/瑞浪市稲津町萩原968
TEL(呼)興徳寺0572-68-3225

聖号碑

稲津町上平普済寺道(文化十二頃・一八一五頃・自然石・七字聖号・観音講中)

萩原普済寺道のものは大型の自然石にクマドリがされて同じく七字聖号と「観音講中」とある。

万霊塔

稲津町上平普済寺(安永五・一七七六・角柱塔・三界万霊・当村夜念仏連中)

 稲津町普済寺入ロのものは、大型の角柱塔に大書されたもので「安永五丙申年仲夏 当村夜念仏連中」とあり、萩原の熱心な夜念仏連中による造立であることが判るものです。

 普済寺への道沿いには左手に立派な名号碑、そして辻には珍らしい青面金剛文字碑があり、やがて寺入口の安永五年(一七七六)の三界万霊塔や嘉永三年(一八五〇)の「一膽一礼 抜苦与楽」の地蔵尊らが見えて来ます。普済寺はいまは無住寺ですが夢窓国師との由緒を伝える古い寺で、累代和尚の無縫塔のある小川の辺りで回顧にふけるのも一興です。

 

萩原普済寺辻に市内唯一の「青面金剛」文字碑が見られるのも特徴です。

萩原・普済寺の馬頭文字碑

稲津町萩原普済寺入ロ(江戸時代のもの・文字碑・馬頭観世音菩薩・境内)

普済寺の地蔵

稲津町上平普済寺入口(嘉永三・一八五〇・丸・坐・右錫杖・左宝珠・偶文)

 普済寺入ロの嘉永三年のものは、立派な台坐の上に安置された珍らしい丸彫り坐像で「一膽一礼 抜苦与楽」の偶文が大書さ
れている尊像です。

普済寺辻の青面金剛碑

稲津町萩原普済寺口辻(年号不詳・文字碑・南無青面金剛王)

 普済寺前の辻のものは高さ一・一m、巾八〇cmの一部加工の石に「南無青面金剛王」とある市内唯一の青面金剛文字碑です。
 この普済寺は、いまは無住寺になっていますが、中世土岐氏にも深い関わりを持った夢窓国師に関係する寺だと伝えられ、筆者の五代前の渡辺孫右衛門の弟がここの十四世中興開山端泉岱岳和尚でもあることから因縁が有り、周辺に造立されている市内最古の承応二年の法海地蔵らの石仏群と共に、古い土地柄に興味が持たれます。

 

(廃寺)萩原 大牧止静庵・萩原真珠庵とともに夢窓国師の伝説を伝うるも詳細不明。

代官寺 明治普済寺合併 地蔵寺 特芳派 大牧
止静庵 文久普済寺合併 観音堂残 大牧

苗木藩廃仏毀釈の影響

 萩原と半原の二例は、明らかに区民総意による離檀、神道への改宗で、明治四~五年のことである。
 しかし、その原因は苗木藩と無縁であるとは断定できないが、むしろそれよりも普済寺一件や福寿寺一件にみられるように以前からの双方の内輪によるものとみられ、宗門改帳・寺請証文作成などによって近世寺院の権限下に常におかれていた庶民による統制からの解放、過去の特定階級への反発意識の現われが根底により強かったと解される。
 萩原普済寺では正宗寺・信光寺などが仲介に入り、双方和解が成立しているが、村民は「和解と離檀改宗とは別」とし、したがって普済寺は半原福寿寺同様無檀家となり、この両年に相次いで無住廃寺となった。

 廃仏毀釈の影響は当地方にも及び山田村下山田の神誓寺、
萩原村の普済寺等は、その当時に廃寺となり檀徒を無くし
た。

普済寺に付いては
 明治八年十二月二十ニ日
 萩原村普済寺一件(廃寺問題)に付き御県(県庁)より
 御尋ねに付き同村役人を正宗寺へ呼出し談示
と云う記録がある。
 正宗寺で普済寺問題の取調べを行ったのは両寺は法類(宗派の上の親類)であったからである。萩原村は全村離檀し神道を信ずる事となったが普済寺は永く存在した。
 明治二十三年四月ニ十八日
 萩原村普済寺景獄和尚披露に御越し、風呂敷扇子頂載すと云う記録がある。右に依りその後も住職が在職していた事が判る。

 

第12番 普済寺 臨済宗妙心寺派 土岐清信 瑞浪市稲津町萩原968 0572-68-3090

見宗山 普済寺
御本尊:十一面観世音菩薩
宗 派:臨済宗妙心寺派
所在地:瑞浪市稲津町萩原968
電話(呼)愛知利三(0572)68一4866

御詠歌
 ながき世の くしきうつろい
   普済でら
  のりのみ光り いまにつたえて

 この寺は鎌倉・南北朝時代の名僧夢窓国師が、観応3年(1352)開山したと伝えられている。
 中興貞領首座・二世教翁伝首座・三世常主座節元和尚延亨3 年(1746)二十三回忌と、過去帳に記載されているが、そのほかのことは不明である。
 その後小田正宗寺の達道珍公首座が再建されたが、明治初年吹き荒れた廃仏棄釈の風潮に萩原村は神道に改宗され、檀徒を失ってしまった。
 しかし住職は昭和十八年ごろまで法燈を守ってきた。
 住職が亡くなると、その後は、正宗寺・信光寺・興徳寺が兼務住職となり、現在に至っている。
 萩原城伝説と共に、土岐氏全盛のころの歴史を秘めた古寺である。

(美濃瑞浪三十三霊場めぐりより)


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