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土岐神社 瑞浪市土岐町鶴城

土岐町鶴城 土岐神社

瑞浪市土岐町2659-17
【祭神】天照大神・土岐頼兼
【例祭日】4月第2日曜日
【由緒】正中年間(1324-1326)の創祀。贈正四位土岐頼兼公は源依光公以来美濃国に縁故の深い美濃源氏の流れを汲み、鶴ヶ城主として文芸両道に励んで徳を積み、善政を布き、領民は悦服し、平和郷を建設した。時の鎌倉執権北条高時は暗愚で政治を怠り、奢修に耽り、人民が塗炭の苦を受けているのを見て耐えられず、後醍醐天皇の密勅を奉じて北条氏討伐の謀に参加したが、不幸なことに謀事が洩れ、一族郎党と共に京都堀川の邸で戦死された。以後春風秋雨六百有余年を経過したが、郷土の偉人として尊崇篤く、その遺蹟を訪ねその余徳を顕彰する者が絶えない。
(岐阜県神社名鑑より)

祭神 天照大神(あまてらすおおみかみ) 土岐頼兼
土岐神社
瑞浪市土岐町2659番地の17(鶴城)

設立は戦後の昭和24年
 鶴ヶ城の山頂には、昔から天照皇大神を祀った小さな社がありました。そこへ、郷土の守護神として土岐頼兼公を合祀し、昭和24年に土岐神社が建立されました。
 その由緒は次のように記されています。
 土岐頼兼公は幼少より文学に優れ性温厚篤実にして慈愛深く常に平和郷建設に勤められ郷土の師範者として尊敬の念高かりしに惜しくも正中元年9月19日に斃れらる。その遺績を顕彰し山頂にありし天照皇大神の小祀に合祀崇敬するに至る尚現在の土岐町名は土岐氏の姓を永遠に敬承するものにして六百有余年を経過するも崇敬者絶えず今日に至る。
 神社創立昭和24年9月
 戦前戦中の教育を受けた人で、土岐頼兼の名を知らぬ人はないでしょう。

史跡をたどる参道
 参道入口に鶴ヶ城跡の大きな標石があります。鶴ヶ城は鎌倉時代特有の山城で、本丸を中心に鶴の両翼のように尾根が伸び、その突端に出丸があったので鶴ヶ城と呼ばれ、県の史跡に指定されています。
 神社への参道は険しく曲がりくねっていて、一ノ木戸跡、二ノ木戸跡、三ノ木戸跡と登ると本丸跡があり、柱穴と思われる跡と葵の井戸と呼ばれる古井戸が残っています。
 山頂は千畳敷と呼ばれる広場になっていて正面に土岐神社が鎮座、東側に稲荷神社、南側に休憩所があります。西端には、毎年一本ずつ建てられてきた美濃源氏武者行列の記念標柱が20本余り立ち並んでいます。
 毎年の七夕祭に先だって、8月1日に武者行列安全祈願祭が斎行され、その後武者行列が街を練り歩くのが恒例になっていましたが、平成10年に、諸般の事情によって武者行列も安全祈願祭も長い歴史の幕を閉じてしまいました。

例祭は区民総出で
 4月の例祭の日には、鶴城区の全戸から人が出て、まず長い急坂と千畳敷の清掃が行われます。そして、美しく整えられた神殿の前で例祭、交通安全祈願祭が斎行されています。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)


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