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土岐一族の館跡 八幡神社 瑞浪市土岐町一日市場


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一日市場 八幡神社 御朱印

販売場所:一日市場八幡神社
販売日:土、日のみ販売
販売価格:1枚300円


美濃源氏発祥之地 土岐氏一日市場館跡

 鎌倉時代に土岐光衡はこの土岐邑一日市場に居館を設け神戸城と称して美濃国統治の本拠としました。
 室町時代初代美濃国守護に任ぜられたその曾孫頼貞も同様この地を中心にして国を治め以降十数代に亘って美濃国守護として栄えた美濃源氏土岐氏の礎を開きました。

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一日市場 八幡神社

瑞浪市土岐町402
【祭神】誉田別命
【例祭日】10月第2日曜日
【由緒】本社、御祭神は譽田別命であり、謚号を応神天皇と申し上げ奉る。天皇は、母后の胎中に在りて三韓を征伐せられ、後皇位に即かれた。文学工芸を外国より採用して、文化の基を開かせた、文武両道の神として朝野の尊信篤き神である。正保3年(1646)丙戌年8月岩村城主丹羽荘之助氏が、志願により建設された神社である。明治6年癸酉年1月13日村社に列したが、その他縁由は不詳。大正2年幣帛料供進の社格である。
 正保3年(1646)岩村城主庭式部小輔氏信創建。貞享4年(1687)岩村城主庭庄之助氏音再建。爾来寺僧に祭祀を奉仕させ、郷土氏子に維持経営に当らせ、明治維新の頃神仏分離により寺僧を廃して、神職として専ら祭祀を勤めた。平成17年社務所を改新築した。又、土岐氏の家臣明智の子孫として光秀誕生の碑が境内に立てられている。
(岐阜県神社名鑑より)

祭神 譽田別命(ほむたわけのみこと)
八幡神社
瑞浪市土岐町402番地(一日市場)

土岐氏一日市場館跡に鎮座
 境内は土岐氏の本拠一日市場館跡で、今も本殿の裏には土塁(どるい)の跡が残っています。
 古くは土岐氏勧請の神社といわれていますが、現存最古の棟札は貞享4年(1687)六月修造を記したもので、岩村城主第五代丹羽庄之助氏音造営となっています。
 その棟札には「正保丙戌年(1646)吾祖氏信が小祠を再建し、その後歳を経て基礎も傾き社殿が朽ちてきたので修造した」という意味の事が書かれています。
 江戸時代、一日市場村は岩村領、木曽領、久々利領に三分されていましたが、この地は岩村領だったため城主の崇敬が篤く、社殿造営も成されたものと考えられます。

安政の大造営・安政7年還宮
 江戸時代の終わり近くまで20〜30年ごとに屋根の葺き替えや小修理が行われてきましたが、その棟札には城主の名は残っていません。
 そして、現在の立派な本殿が安政年間に再建されました。嘉永6年春思立之事・再建取掛安政4年、還宮安政7年と造営の経過が、庄屋をはじめ時の役職をもつ人々の名とともに書き残されています。
 棟梁は、立川建築で名高い信州諏訪郡の立川長三良、軒まわりの見事な彫刻は立川幸助真友・中澤源三郎2名の彫師の手に成るものです。
 市内でも屈指の立派な造りで、幕末の騒然たる時代によくもこれ程の社殿を建てられたものと、当時の人々の情熱に深い感銘を覚えないわけにはまいりません。

珍しい木偶(でく)の首
 棟札とともに十体あまりのの木偶の首が所蔵されています。大人の頭くらいのものから子供の頭ほどのものまで、表情もさまざまで、内部は刳(く)りぬいてあります。
 市内では他に例のないめずらしいものですが、製作年代も使用目的もわからず、今後の研究が待たれるものです。

七夕祭安全祈願祭斎行
 毎年8月のはじめに行われる七夕祭に先立って安全祈願祭が斎行され、以前はその後武者行列が街を練り歩くのが恒例となっていました。これも土岐氏ゆかりの神社として、特筆できることの一つです。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)

一日市場 八幡神社

 現在は一日市場八幡神社ですが、土岐光衡(鎌倉時代)、土岐頼貞(南北朝時代)がそれぞれ美濃守護職になると、ここを本拠地として館を構え、美濃を統治したといわれています。
 眼下に土岐川と小里川の合流点を望む河岸段丘上に位置し、境内のー部には土塁跡が認められます。
 神社本殿の建築と彫刻は、信州諏訪の立川流の手によるものと伝えられています。寛政6年(1794)に寄進された陶製の狛犬は、瑞浪市の有形文化財に指定されています。

(土岐地区 郷土再発見より)

灯篭

(享保九・一七二四・対・甲辰八月十五日)

 

八幡神社の由来と一日市場館

 土岐郡に土着した源氏の土岐氏(美濃源氏)が鎌倉時代に源氏の守り神である八幡神を勧請したといわれる。
 八幡神社一帯は、土岐氏が平安末期から室町時代にかけて美濃国を統治する拠点とした一日市場館(ひといちばやかた)があった跡である。
 土岐氏の分家に、本能寺の変で有名な明智光秀がいる。一日市場館の井戸水で湯あみしたという言い伝えがある。
 幕末の尊攘派の志士清河八郎の紀行文『西遊草』にも「明智光秀生まれたる処なり」と記述がある。(諸説あり)

伝統行事例祭:10月第2日曜日
8月初旬の「瑞浪美濃源氏七夕まつり」では、祭りに先立って「七夕祈願祭」を行う。

(『瑞浪市の神社を巡る』より)

土岐氏の館跡

 頼貞およびそれ以前の土岐氏累代の屋敷跡で土岐館と呼ばれ、一日市場・清水などに設けられており、土岐系図そのほかに記述されています。館はこのほか大富・浅野・高田などにも設けられています。

土岐邑神戸城

 美濃守護土岐光衡の居館兼本拠となった瑞浪市の「神戸城」の所在地についてである。
 土岐郡司(郡家)の役所のあった土岐の 「郡家」は「こおど・ごおど・ぐうけ」などと呼ばれ、神戸と同一意である。
 中世の「土岐庄」は現瑞浪市・土岐市・多治見市の大半または、土岐川沿いを中心にした平担地帯の大部分をいい、広範な地域を指しているが、「土岐郷」といった場合は現在の小田・山田・寺河戸・土岐地区を中心に稲津地区を時として含めた程度の名称であり、「土岐邑」というのは、鎌倉以降ころから現在の土岐町を中心にして使用される言葉で大体旧土岐村を指している。
 こうしたことから「神戸城」は現在の土岐町「一日市場」 の八幡神社(旧土岐氏一日市場居館跡)境内と考えられている。

土岐氏の居館跡

 神戸館(ごうどやかた)とも呼ばれる一日市場館が土岐氏の居館と伝えられるが、その初めは鶴ヶ城同様に不明である。光国・光信ら以来瑞浪市(土岐町)に土着した土岐氏の各累代は、この神戸館を本拠にして郡内に勢力を伸したものと考えられる。文献では群書類従本土岐系図・尊卑分脈光衡の付記に「美濃国守護となり、土岐美濃守と号して土岐郡神戸城に住す」とともにあるほか、土岐氏系図ほかの頼貞の付記に「一日市場の里に頼政(明?)の下屋敷あり」などと記されており、現在、八幡神社境内の周囲には土塁のあとが認められ、神戸館が鎌倉時代守護光衡および南北朝時代守護頼貞時の美濃国府の館となったことは確かといえる。土岐氏の館はこのほか、清水(土岐町)、大富・浅野・高田(以上土岐市)などにも設けられ、下屋敷的なものは稲津・日吉・釜戸などにもあったと考えられるが、詳しくは伝えられていない。(土岐町一日市場)

一日市場八幡神社

 祭神 応神天皇 旧村社 最古棟札 貞享四年(一六八七)六月修造 土岐町一日市場

 古くは土岐氏勧請による宮社といい、土岐氏一日市場居館(神戸館)跡にあり。正保年中岩村城主丹羽初代氏信その小祠を再建し、さらに荒廃によりこの貞享四年丹羽氏五代氏音が大檀那となって再々建す。別当社僧に快寿院・寿宝(保)院名らあり、寛保.文化以降の棟札残る。寛政六年在銘の陶製狛犬一対あり。岩村藩主代々崇敬の八幡神社なり。

ー日市場八幡神社の陶製狛犬

 一日市場八幡神社の寛政六年(一七九四)平野氏奉納のものは「大平窯妻木千石助庄右門作」 とあり、大川浅間神社の享和二年の川野氏奉納のものと同様式の「萱刈型」で同一人の作と考えられる。とすると前記大川八王子神社の享和のものとこれは大平窯千石助庄右門の作品となろうか。


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