■ 産業遺産

小里川第三発電所の取水堰堤 岐阜県 瑞浪市 陶町猿爪・恵那市


小里川第三発電所の取水堰堤
陶町猿爪・恵那市

 小里川発電所に関連する近代化遺産、小里川第三発電所の取水堰堤をご紹介します。
 この取水堰堤は、貯水槽から約900m東方(上流)の小里川に設置されたもので、発電所と同様に大正13年(1924)頃に造られたものと思われます。
 高さ約3.6m、河川に露出した岩盤の上に築かれ、他の施設と同様に多くの石材が用いられているのが特徴です。
 設置後約90年を経ていますが当初の姿をよくとどめ、激流に耐える優れた構造であることを示しています。また、堰堤から下流の河川南側に設けられた発電所への導水路にも膨大な量の花崗岩が用いられており、一見の価値があります。
【解説】瑞浪市教育委員会スポーツ・文化課 砂田普司氏

(みずなみ商工会議所ニュース 瑞浪の魅力発見プロジェクトより)


川折の発電所

 小里川ダムの完成前、小里川には通称「川折の発電所」という3つの小規模水路式発電所がありました。下流から第1、第2、第3 と名付けられ、最下流の第1発電所こそ稲津町川折にありましたが、その上流の第2・第3は瑞浪市陶町水上にありました。建屋が小里川左岸にあり、左岸は陶町水上(右岸は山岡町田代)だからです。
 従って、残骸(発電所遺産)の発電用水路跡や道の駅「おばあちゃん市」に展示されている発電機や「輿運橋(ようんばし)」と言われていた石造のアーチ橋(通称「めがね橋」)は陶町の遺産でもあります。
 発電所には住み込みの管理者がおり、その子どもは陶の学校に通っていました。猿爪川沿いの、通称小滝道を通って樋の下に出るのですが、小滝道は幅1~2mの山道です。下校の際は、夏場はともかく、冬場は真っ暗で心細かったことと思います。
 この発電所のうち完成したのは第2発電所が最も早く大正7年(1918年)に完成し、出力は130kwでした。続いて最下流の第1発電所が大正11年に完成(出力150kw)、最上流の第3発電所が最も遅く大正14年に完成(出力180kw)した。
 現在の小里川ダムの発電量は、1,800kwで一般家庭600世帯分というから、現在の猿爪分も賄えないことになります。昔の川折の発電所は3つの出力を合わせても460kwにしかなりません。これは、昔の電気使用量がいかに少なかったか、現在がいかに電気に依存した社会かを物語っています。

(もっと知ろう“陶”より)


小里川 川折発電所

 川折の発電所は多治見電燈所第3発電所として多治見電燈所の加藤乙三郎が、自己の持つ土木技術を駆使して建設した発電所である。
 「加藤乙三郎」聞いたような名前だなと思って調べてみると、戦後の高度成長期に中部電力会長、中部経団連の会長もしているのが加藤乙三郎である。中電の乙三郎は乙三郎2代目で多治見電燈創立者の加藤乙三郎 (初代)の子で襲名前の名は輝三郎であった。
 この発電所は3つの小規模水路式発電所からなり、下流から第1、第2、第3と名付けられていた。この地域の地場産業の発展、地域社会の近代化に大いに貢献したことは間違いない。
 この3つの発電所を、通称「川折の発電所」と呼ぶが、そのある位置は、最下流の第1発電所こそ稲津町の川折であるが、その上流の第2・第3は瑞浪市陶町水上である。この辺りの左岸は陶町、右岸は山岡町田代で、発電所は左岸にあったから陶町水上である。実際、私の同級生には、親が川折の発電所の管理人で、そこに住んでいたので毎日小滝道を通って陶中学校に通っていた子がいました。冬の下校時は真っ暗な山道で大変だったと思います。
 この発電所のうち完成したのは第2発電所が最も早く大正7年(1918年)に完成し、出力は130kwであった。続いて最下流の第1発電所が大正11年に完成(出力150kw)、最上流の第3発電所が最も遅く大正14年に完成(出力180kw)した。
 現在の小里川ダムの発電量は、1,800Kwで一般家庭600世帯分というから、現在の猿爪分も賄えないことになります。昔の川折の発電所は3つの出力を合わせても460kwにしかなりません。これは、昔の電気使用量がいかに少なかったか、現在がいかに電気に依存した社会かを物語っています。

<現在の川折発電所を散策>
 現在の川折発電所のうち、第2・第3は小里川ダムに水没し、最下流の第1発電所のみ現存しています。但し、ダムの完成と共にその役目を終え稼働はしていません。
 小里川下流から右に上記写真の第1発電所を見ながら上流方向に上ると、堤高114mを誇る小里川ダムを下から望むことができます。
 小里川ダムは平成15年に完成した洪水調節・環境維持・発電などを目的にした近代ダムであると同時に川折の発電所の息吹も感じさせる多目的ダムである。
 ダムの管理事務所を訪れると、塚田邦彦さんによる絵画「雪の発電所」が展示してあった。
 塚田さんは釜戸町出身の画家で御嶽の山々などの美しい風景画家として知られ、愛知県美術館などで個展を開いている。その塚田さんの大作が小里川ダムに寄贈され展示されているのである。
 第2発電所が水上の樋の下から下った(小滝街道)ところにあった。私にとっても懐かしい風景の絵画で感動を覚えた。
 ダムに沈んだ発電所には上記の絵画にも描かれている「輿運橋(ようんばし)」と言われていた国内でも珍しい石造のアーチ橋がかけられていた。地元産の花崗岩を使用し、建造から約100年、大きな改造もなく耐えてきた誇るべき石造構造物である。
 この橋は多治見電燈発電所にとって川折の発電所が四番目の発電所であることから四運橋、四は縁起が悪いからと輿運橋と名付けられたと言われています。その形から通称「めがね橋」とも呼ばれていました。
 ダムより更に上流に上り、川を渡ると原石山と呼ばれる広場がある。更に陶側に上ると発電のために水を流した水路跡を見ることができる。これもレンガ造りの立派な産業遺産である。
 また、ダム上流には、発電所への水の取水口を見ることができる。これまた、頑丈な石造の堰である。
 もうひとつ、沈んでしまった遺産として田代大滝を忘れてはいけない。その昔、その大滝の不動尊に陶の人と山岡の人が合同で雨乞い神事をしたという場所である。

(陶町歴史ロマンより)


1915 大正4 ・川折第二発電所建設さる
1920 大正9 ・川折第三発電所完成、日吉村営水力発電所建設工事着工、小田村伊藤亮一小里川自家用発電所を完成す

(瑞浪市の歴史より)


 川折第三発電所が建設されたのは大正九年で、それ迄に第二発電所は完成していた。この「多治見電燈」は大正十三年二月一日合併して「中部電力株式会社」 となった。

 


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