■ 寺院 石仏

大瀧不動明王と雨請(あまごい)碑文 恵那市山岡町田代 瑞浪市陶町

大瀧不動明王と雨請(あまごい)碑文 恵那市山岡町田代 瑞浪市陶町

大瀧不動明王と碑文

 田代大瀧に祀られていた「大瀧不動明王及び碑文」は、一級河川土岐川の洪水災害を防ぐための小里川ダム建設に伴い後世に残すため、小里川ダム湖が眺望できるこの地に遷座されました。
 この不動明王が大瀧に祀られた経緯が、碑文として記されています。

碑文の注釈
「時は安永七年(一七七八年)つちのえ犬秋なり、
七月以来、全く雨降らず、万物皆正気無し。
稲の生育が止まり枯死寸前、放置すれば凶作、飢餓を招くは必至。
殊に農民の苦労を救うために、この大瀧の地に明王を置き奉り雨乞いをなす。
おかげさまにてご利益あって願い事がかない、六日間(前後三日間)大雨が降り続き、稲はもちろん、万物皆正気を取り戻した。
私は、各方面の檀家に喜捨を呼びかけ、石大工に石像彫刻をすることを依頼し大瀧の地に祀り、明王にお礼するものである。」
発願者 円徳寺 住職 胡道
(下段に)上手向村 下手向村 釜屋村 原村 猿爪村 田代村 小里村

 不動明王・碑文は、大瀧より新たにこの小川ダム湖畔に遷座されましたが胡道和尚の慈行が、これからも永遠にこの地に、言い伝えられることを願います。
  平成一四年七月吉日 田代区

(現地看板より)

大滝のこと

 小里川筋には明治初期まで道路が無く大滝は秘境の地であった。江戸時代の頃大変なひでりが続いた時、上手向・下手向・釜屋・猿爪・田代・小里の六村は、円徳寺の胡道和尚を招き雨乞をした。三日三晩大雨が降り続き多くの人命が救われた。田代側の断崖に不動明王と役の行者を祀り、猿爪側の岩壁に雨乞の記事が刻まれている。
維時安永七戊戊
七月大旱俊此地欲 奉安置王以請雨 也忽有感應雨三日
降注大雨俊予疎求 十方旦越之助以命 工彫石像聊奉報
上手向村 下手向村 釜屋村 原 村 猿爪村 田代村 小里村

イワナガ信仰

小里川筋には、大滝の雨乞を始め、古代から雨乞の神々である龍神が崇められている。古代人は、竜や蛇の模様を巨石に描き雨乞をした。龍蛇、龍神はイワナガと呼ぶ。

(『小里川ダムのふるさと』より)

 大滝沢ノ尻のものは、石像は田代分の県道沿に建てられ、猿爪・小里・田代・上・下手向村・釜屋・原七ヵ村による碑文は左岸の猿爪村分にありました。
 この碑文によると「この安永七年(1778)は大旱ばつで、七ヵ村で不動明王に祈願したところ、三日間大雨が続いてこと無きを得、尊像を彫刻して聖恩に報いるもの」とあり、大川の不動明王ものも同年の造立ですから、共に雨請い報恩による造立例と思われます。

(『ふるさとの石仏』より)

雨請(あまごい)碑文(陶町小里川沿い大滝)

 小里川左岸の大岩が累積する中段の岩壁に、縦横八八cm方形に刻銘がある。雨請いの様子が髣髴(ほうふつ)として眼前に浮かび上ってくる。右岸の山岡町田代側の中復のいとも狭き所に、不動明王像とあと一体の仏像が祀られている。
 小里川防災ダムで、ダムの底に沈む運命なれど二百年前の農民の苦労の結晶の証を保存したいものである。

維時安永七戊戊秋
七月大旱変此地欲
奉置明王以請雨也
忽有感應雨三日降
注大雨夋予疏求十
方旦越之訪以命工
彫刻石像聯奉報聖
恩者也
 願主園徳寺胡道

上手向村
下手向村
釜屋村
原 村
猿爪村
田代村
小里村

(『瑞浪の石造物』より)


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