釜戸町西大島(釜戸小学校北側の裏山)にある妙見宮石仏合龕は、元文三年(1738)にできたもので、基礎の上に、両側壁及び、壁をもって内部を構成し、その上に四柱造り、前面、唐破風(からはふう)附の屋根石を置き、別に棟石がついており、間ロ36cm、奥行26cm、高さ57cmの、小じんまりした仏龕で、奥壁の正面には、騎馬乗の妙見像を厚肉彫り(レリーフ)にし、その左右の側壁には、左側に、地蔵尊像の立像を、右側に、不動明王の立像を浮き彫りにして、相対せしめ、両側には各一行ずつ、元文三戊年、五月二四日、の刻銘がある。
なお同地域には、入母屋造りの、石洞が一基妙見宮と刻したものがあり、また 入母屋造りの笠を置いた灯寵が一基あり、それの刻銘に
元文四己末九月三日
泉 州 山内兵右衛門
大島村 大山平兵衛 とある。
妙見宮は、北辰(北極星)を仏化せる妙見像を本地とし、建稲穂命を垂跡したもので、命は日本武尊御東征の副将として東夷征伐の大功神にあたる。
(瑞浪の石造物より)
妙見様(愛宕[あたご]社 勝軍地蔵)
元文3年(1738)建立。正面に馬上姿の勝軍地蔵、右に愛染明王、左に地蔵菩薩が彫られています。小さな石の厨子ですが、三仏の浮彫は見事なものです。
(釜戸再発見mapより)
灯籠
釜戸町大島愛宕社境内(元文四・一七三九・単・自然石・泉州山内兵右衛門)
釜戸町大島愛宕様境内(元文四.一七三九・単・大島村大山氏・石工泉州山内兵右衛門)
釜戸小学校裏の元文三年(一七三八)の愛宕社石龕にお詣りしましょう。ここの馬上姿の勝軍地蔵ら三尊の浮彫は見事で、ここの翌四年の境内灯篭に石工泉州山内氏とあり、三尊も同氏の手になるものと考えられます。
大島の「愛宕石龕」は元文三年(一七三八)に建立されているが、合龕内の正面愛宕権現(将軍地蔵)、右手の愛染明王、左手の地蔵菩薩の彫刻は見事。