■ 寺院, ○ 日吉地区

日吉町 南垣内の摩崖仏

南垣内 摩崖仏

線彫り地蔵尊

日吉町南垣外(年代不詳・市指定磨崖仏・像高二m・左手宝珠・右手錫杖)

 南垣外三本松のものは、三米の自然石に彫られた摩崖仏で、美しい像容で市指定。

(ふるさとの石仏より)

磨崖仏 日吉町南垣外南三本松(市指定)

 磨崖仏は、岩山の崖や自然石に浮彫り・線彫りなどで仏像を彫刻したものである。
 中国・インド・タイ・朝鮮などの石窟寺と共に広く発達し、奈良時代後期京都笠置山の花崩岩壁に古来「五丈の弥靭(ごじょうのみろく)」とよばれた大線刻像があったが兵火をうけて、今は大光背形がのこるのみだが、線刻の磨崖仏は、朝鮮の新羅(しらぎ)統一時代に多く作られており、わが国ではそれを見ならったであろうと推定されている。この「虚空蔵(こくうぞう)石線刻摩崖仏」は平安中期の彫成と推定され高さ一二・七mの花崗岩面に九m、蓮弁の蓮座上に座る像として一級品の作と云われていることも参考までにつけ加えておく。
 平安時代には、大規模な厚肉彫摩崖仏や石窟仏が作られた。鎌倉時代には庶民信仰の対象として広められた。
 南垣外のものは水田の中の自然石の南面に、全長二mの地蔵尊が線彫りで刻まれている。刻名はないが、手法から室町時代のものと考えられている。
 摩崖仏の存在は、当地方ではごくまれで外には、同町深沢に不動尊の摩崖仏があり、共に庶民信仰の例として貴重なものである。

(瑞浪の石造物より)

 円日寺(廃寺)詳細不明 南垣外 同地南三本松の摩崖仏および山中の十数基の五輪・宝篋印塔は、これに関係するものと推察される。山号竜松山、日吉土岐氏に関係なきか、円池寺、円通寺などとも呼び、地名残る。

(瑞浪市史 歴史編より)

日吉町 南垣内の摩崖仏

 摩崖仏とは岩山の崖や自然石に浮彫り・線彫などで仏像を彫刻したものである。中国・インド・タイなどの石窟寺院と共に広く発達し、平安時代頃に日本へも伝わり、鎌倉時代には庶民信仰の対象として広められた。
 この摩崖仏は、水田の中の自然石南面に地蔵菩薩が線彫りで刻まれていて刻銘はないが、手法から室町時代のものと考えられ、日照りが続いたときには雨乞いの祈願をしたと伝えられている。(市指定文化財)

(歴史発見イラストマップより)