石幢と石仏
この石幢は、江戸時代下期の明和5年(1766)大川村の有志が村人の極楽往生を願って造立したものであるが、当時の主要道路である中馬街道の真上にあるところから、道行く旅人もこの石幢に道中の安全を祈願したことでしょう。
石幢の奥の石仏は国遺363号線改修の際移されたもので、これまた長い間中馬街道を見守ってきた仏達です。
(陶町の歴史散策マップより)
六地蔵石幢と石仏群
・六地蔵石幢 明和三(1766) 「丙戌年一二月二四日」
「村中為菩提」(瑞浪に4例)
地蔵菩薩:釈迦が入滅した後、弥勒菩薩が出現するまでの五億七千万年は無仏時代となるが、その間に出現して難渋する衆生を救済する菩薩。
宝冠や飾りを付けた菩薩形ではなく、頭を丸めた法師姿。
六地蔵 六道を輪廻転生する衆生を救済する。
地獄道ー壇陀地蔵・餓鬼道ー宝珠地蔵
畜生道ー法印地蔵・修羅道ー持地地蔵
人間道ー除蓋障地蔵・天道ー日光地蔵
・馬頭観音 嘉永7年(1854) 「馬安全」
・三界万霊塔
欲界ーあらゆる欲望や目に見える形に囚われた世界
色界ー欲望はないが目に見える形や物質に支配された世界
無色界ー欲や物質を超越した精神世界だが、未だ完全な悟りではない世界。
その三界、あらゆる世界に生きとし生けるすべての霊を祈り供養する塔。
(中馬街道大川地区散策資料より)
大川辻 石憧
刻銘 村中為菩提明和三丙戊年十二月二四日
附近の老婆、羽柴久らさんの話によれば、明治二四年の濃尾地震の時、宝珠と笠が落ちたので、村人が力を合わせて、上へあげたが、位置が変っているといわれているとのこと。
尚、更にくわしく観察してみると、信光寺や正源寺の石憧に比して、笠の形態が著しく異っているのに気付き、 一見、四角型の神前形をしている。だから石憧を建立してから以後に、建てなおしているかと推定される。