■ 三十三霊場

【美濃瑞浪三十三霊場 第33番】鷹巣山 開元院 瑞浪市日吉町

鷹巣山(ようそうざん) 開元院

 開元院は古くから土岐氏の守護寺であったと伝えられており、寺伝によれば嘉吉3年(1443)当時の領主土岐頼元により開山されたと言われている。山門、本尊の観世音菩薩坐像、駕篭が県や市の文化財に指定されています。

静まりかえったある晩のこと、禅師は文机に向かって書き物をしていました。するとほっぺたに冷たいものが当たるのを感じました。「声を出すな、さわぐと切るぞ」 強盗が刀をあてています。「働かずに人の物をとろうとは、まことにはずかしいことじゃ。さっさとお帰り」と禅師は静かにさとしました。「説教を聞きにきたんじゃない」と賊は、禅師の首を切りおとしてしまいました。めぼしいものをかき集めて引き返そうとすると、切られたはずの禅師が静かに書き物をしています。「お前は何者だ」と禅師は聞きました。「さっき首を切りおとしたはずなのに…」「おお、そういえばさっき首すじに冷たいものがあたったようじゃが…」こう言いながら禅師はふところから持仏として持っていた毘沙門天を取り出すと、その首は後ろから切られていました。賊はひれ伏して念仏を唱えました。その後賊は禅師にさとされて弟子入りし、開元院三代目のお坊さんになりました。
●この昔話は、「ふるさと瑞浪」のお話のあらすじを短くして掲載しています。

 開元院の創建は遠く室町時代永亨11年(1439年)、文武に秀でた土岐城主土岐頼元公と後に開元院の初代住職(御開山)月泉性印大和尚との出逢いによりその機縁が熟すのである。
 月泉和尚は洛陽官族大江氏の子として生まれたのであるが、その母は良き子の誕生を京都鞍馬の多聞天に祈願し、無事の出生にも拘わらず、左手の指を固く握りしめており、21日を過ぎて指を開くと、手の中に毘沙門天の小さな金像を見たのである。
 この金像(秘仏)は、月泉和尚終生のお守りとして崇め、同時に開元院の毘沙門様として、今日もなお多くの信仰を集めている。
 月泉和尚は、備中(岡山県)洞松寺四世霊岳洞源大和尚の弟子となり、修行に励みつつも戦乱の時代、29才の時兵乱を避けて日吉の山中に入り庵を結び、坐禅三昧の修行に入ったのである。
 土岐頼元公は家臣と共に日吉山中で鷹狩の途中深山の岩上に坐す月泉和尚に出逢い、和尚の篤い仁徳と深い叡智に心打たれ、信仰の心を寄せ月泉和尚を住職として迎え、自らは開基を宣言し土地百丁歩、青銅六百貫を寄進し堂宇を建立し、山号を鷹狩りの出逢いに因み『鷹巣山』とし、寺号を頼元が開く寺『開元院』と号し、先祖と仰ぐ頼貞公(定林寺の開基)の霊と、土岐家先祖代々の菩提と平安を祈る寺として創建され、以来平成31年迄580年来、毎日供養が続けられている。
 尚本尊『聖観世音菩薩座像』 は、鎌倉様式の作風があり、寺伝では、定林寺より移された仏像であると伝えられ、県重要文化財に指定されている。
 以後開元院は曹洞宗の東濃に於ける本寺として発展し、江戸時代月泉和尚の門下は恵那地方に迄広がり末派寺院は三十余ケ寺を越え、美濃三刹のーつに数えられた。
 頼元公は月泉和尚が文明2年12月28日63歳で亡くなるや悲しみの中で、画人としての才能を生かし、月泉和尚の頂相を絵筆に託し、二世盛禅洞爽に賛を需め師の七回忌に奉納し供養の誠を示したのである。
 この頂相図は創建550年(平成元年)を記念し、京都国立博物館に於いて2年の期間を経て、見事に修復され、市の文化財に指定された。
 頼元公は文明13年5月15日、死期に臨み、『明日吾将に逝かん』 と宣言したと伝えられている。(戒名【開元院殿一鋒道煎大居士)

《賛文》
文明丙申臘月日巣山洞奭拝賛
  真儀凛凛 五老松長
  宇宙禅林 乾坤道場
  以応其希者也
寄当山命予需賛故述野喝一章
土岐城主頼元公自図吾師之真相

宗派/曹洞宗(御本尊:聖観世音菩薩)
市・県指定有形文化財/聖観世音菩薩(文和5年(1356)
岐阜県瑞浪市日吉町8846
TEL.0572-69-2052




木造観世音菩薩坐像(県重要文化財指定)

開元院 木造観世音菩薩坐像   
 鷹巣山開元院の本尊。檜材の寄木造り、玉眼の坐像。像の底の墨書銘によると、南北朝時代の文和5年(1356)に造られたことがわかる。鎌倉様式をよく伝えている。定林寺開基頼貞公亡き後当院に本尊佛として安置。


絹本著色月泉性印和尚頂相図(市重要文化財指定)

開元院 絹本著色月泉性印和尚頂相図 
 室町時代。月泉性印和尚の肖像画。和尚は、永平寺で修行の後諸国を巡り、永亨11年 (1439)に開元院の開山として招かれた。その後、総持寺へ移ったが再び開元院に戻り、文明2年(1470)に亡くなった。文明8年(1476年)開基頼元公筆。御開山七回忌に二世盛禅洞爽の賛を請けて納。創建当時ご開山月泉性印を慕って集う求道僧多く、特に五哲と称せられたご開山の愛弟子が境内にそれぞれ庵(塔頭)を開き、親寺である開元院を護持した。

塔頭 地蔵庵 盛禅洞奭(開山第一弟子)
       (開元二世・福嚴寺開山)
   幸福庵 周牧三鼎(開山第二弟子)
   三陽庵 龍宗徳水(開山第三弟子)
   圭田庵 玄正慈園(開山第四弟子)
   東光庵 乾山自亨(開山第五弟子)


開元院 駕篭(市重要文化財指定)

開元院 駕篭   
 江戸時代後期。主として武家が使用した権門駕篭で、祖先・主家の供養等の事由でゆかりの寺に寄進されたものと言われている。土岐家の家紋(桔梗)の装飾金具があり工法が大変に優れている。


山門(市重要文化財指定)

 亨和元年(1801年)建立。東大寺南大門と同形式。


孔雀絵図

 江戸後期 尾州藩絵師、小木曽文洲作(細久手出身)


《年中行事》

1月1日~3日 新年修正会 初詣
     3日 毘沙門天初祈祷
     3日 毘沙門天祈祷日
     18日 初観音
2月3日 大般若&節分会
  15日 涅槃会
3月 春分の日 春彼岸会法要
4月8日 花まつり(旧暦)
7月24日 うら盆施食会法要
8月24日 地蔵盆
夏休み中 お経を習う会
9月彼岸中 秋彼岸詣り
12月8日 成道会
  28日 御開山忌
  31日 除夜の鐘

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