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熊野神社 瑞浪市釜戸町荻之島

釜戸町荻之島 熊野神社

瑞浪市釜戸町4251
【祭神】伊弉諾尊
【例祭日】10月第2日曜日
【由緒】慶長17年(1612)伊弉諾尊を祭神として創建され、以後度々修理されてきたが、昭和35年の国道19号の新路線、更には昭和47年の中央自動車道の新設に関係し、度重なる移動を余儀なくされた。氏子一同大変心を痛めたが、当時の関係者の努力により、現在地に立派な鉄筋コンクリート製白亜の社殿が造営された。建設費は約三千万円、昭和47年11月12日、遷座祭が厳かに斎行された。境内は、中央道と国道19号を見下ろすことのできる高台にあり、東方に恵那山を遠望する幽幻な神域と、自動車の激しく行き交う現代の世相との対比に戸惑う時もある。
(岐阜県神社名鑑より)

祭神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
熊野神社
瑞浪市釜戸町4251番地(荻之島)

昭和の御遷宮・白亜の社殿
 当社は今から386年前、慶長17年(1612)伊弉諾尊を祭神として創建され、以後度々修理されてきましたが、昭和35年の国道19号の新路線、更には昭和47年の中央自動車道の新設に関係し、度重なる移動を余儀なくされました。氏子一同大変心を痛めましたが、当時の関係者の努力により、現在地に立派な鉄筋コンクリート製白亜の社殿が造営されました。
 建設費は約3,000万円、昭和47年11月12日、遷座祭が厳かに斎行されたのです。

箱舘焼(はこだてやき)の祖 足立岩次の碑
 境内には、末社として津島神社外八社が祀られ、足立岩次顕彰碑が建立されています。
 足立岩次氏は、ここ荻之島の出身で、天保から明治初年にかけて荻之島焼の名で岩村藩御庭窯師となり、安政5年(1858)北海道箱舘に渡って箱舘焼の陶祖となった人です。帰郷後は、政府の要望で電信用碍子の製造にまで技をふるいました。
 なお、社殿の前には立派な唐獅子一対が置かれ、氏子の自慢の一つとなっています。
 境内は、中央道と国道19号を見下ろすことのできる高台にあり、東方に恵那山を遠望する幽幻な神域と、自動車の激しく行き交う現代の世相との対比に戸惑う時もあります。
 当社の維持管理は、上・下組の80戸が、班毎に当番を作り、毎月1日・15日に総出で清掃奉仕を行い、また秋の例祭に備えて一戸当たり毎月200円の浄財を捧げ、神域の清浄保持と敬神崇祖の伝統を守っております。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)

境内灯篭

釜戸町萩之島熊野神社(享保十三・一七二八・対・円・奉寄進当村中・足立・三宅氏)
(ふるさとの石碑と灯篭より)

陶製の狛犬

 神社の正面には鳥居と灯籠と狛犬のあるのが普通です。市内でも鳥居と灯籠には江戸時代の年号の刻まれているものが多いようですが、狛犬はほとんど明治以後に造られたものです。こうした中で陶器美濃焼の生産地の瑞浪市にふさわしく陶製の狛犬が本殿の両側にあることは本市の特色で、中にはすぐれた作品も多く、今後とも大切に保存していきたいと思います。
 在銘のものでは、山田町上山田神明神杜の宝永二年(一七〇五)・下山田八幡神杜の同五年・釜戸町荻之島熊野神社の同六年のものが古く、陶町大川八王子神社には、与左衛門頼重作ほか、享和二年(一八〇二)・天保十四年(一八四三)などの、すぐれた作品があり、土岐町清水の八幡神杜のものと、稲津町羽広の白山神社の宝暦九年(一七五九)のものは、作風がこの八王子神社のものによく似ています。

陶製の狛犬

 下山田八幡神社には「宝永五年(一七〇八)」、釜戸荻之島熊野神社に 「宝永六年」 在銘のものが各一対あり、作者名は不明であるがこの両者は同一人による作品と考えられる。以上の宝永年中のもの四対の所在によって当市内における狛犬奉納の流行がこの時期にはじまったことが知れる。

荻之島熊野神社 祭神 伊邪那岐命 旧村社 最古棟札 寛永十七年(一六四〇)十一月建立 釜戸町荻之島

 寛永十七年熊野権現を勧請、宝永年中より足立・三宅氏および村中により祭祀、宝永・享保・寛保以降の棟札多数を存す。宝永六年在銘の陶製狛犬あり。

荻之島熊野神社棟札裏書

〇釜戸町荻之島 熊野神社

 御鍬様村々御巡行之覚 荻島村名主 三宅伝右衛門記之
寛保二年戌ノ二月六日萩原村より大草村・上平村え御渡り、直に其日当村え御着キ被成候、御鍬御神体の外幡、のぼり大小廿本余植木等其村々ニて寄進指上候而、其数四、五十本余有之、迎送の人夫二、三百人にて其日御通被成候、近所の村々加勢の人数を以当村より藤村え送り奉り申候
(寛保第二壬成年ニ月七日)

(瑞浪市史 資料編より)


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