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水上神社 狂俳の壁 瑞浪市陶町水上

水上神社 狂俳の壁

 水上神社前の急傾斜地保護の為、長さ139.2mのコンクリートの壁が出来る際、街づくりの一環として、県土木などの協力により、この地区に古くからある文芸の狂俳をタイルに描き埋め込んで、後生に残し、環境整備を図ろうとしたものです。30cmの角タイル6枚を合わせ、縦90cm・横60cmの陶板が28ヶ所に貼られています。


水上神社と狂俳陶板壁

 急勾配の石段を87段上って境内に到着、ここで一息ついたあと、19段上って拝殿に参拝。水上神社は、大正2年に、元々ここにあった諏訪神社と田尻神社・日向日吉神社の三社を合併し水上神社と改称して設立された神社である。境内には江戸時代からの燈籠や水盤といった石造物が数多くある。
 また、近年では境内の擁壁に狂俳陶板が埋め込まれ、町行く人の目を楽しませている。
(陶町の歴史散策マップ)

水上神社 狂俳の壁

 平成5·6年度岐阜県急傾斜地崩壊対策事業で水上神社前の急傾斜地保護の為、長さ139.2mのコンクリートの壁が出来る際、街づくりの一環として、県土木、陶町街づくり推進協議会、連合区・水上区・水上神社等の方々により、この地区に古くからある文芸の狂俳をタイルに描き埋め込んで、後世に残し、環境整備を図ろうとしたものです。
 制作にあたっては水上地区で狂俳灯籠を描き続けてみえる松之木勝美さんの協力により完成しました。30cmの角タイル6枚を合せ、縦90cm·横60cmの陶板が28カ所に貼られています。
(すえMAPより)

狂俳

 7月になると、水上・大川の夏祭り「祇園祭」が行われます。この祭りに欠かせないのが狂俳の手描きあんどんです。
 狂俳とは、江戸時代、農民などが時の権力に対抗する手段として12文字に自分たちの思いを込めて表現したのが始まりで、岐阜県が発祥の地とされています。(岐阜公園に「狂俳発祥之地」と刻まれた石碑がある。)陶の狂俳も約150年の歴史があります。
 狂俳は題として出されたものに7文字と5文字で、時代の風刺・ユーモアなどを表現します。例えば、お題「風格」で、句は「狛犬凛と里に座す」という調子です。祭りは狂俳の発表会になっていて、あんどんにお題と句、その内容を描いた粋なイラストが、ろうそくの灯で映し出されて夜祭りを盛り上げます。
 あんどんの大きさは縦55cm、幅30cmで、イラスト(水彩画)はあけぼの台の須藤信利さん、希望ヶ丘の勝次男さんが担当しています。狂俳募集に投稿する人には、自分の作品を絵に描いてもらうのが楽しみになっていると思います。
 この狂俳あんどんは、夏祭りにふさわしい・欠かせないものと、猿爪区の夏祭り(8/15)にも貸し出され会場周辺で夜の祭りを盛り上げてくれます。

○狂俳の壁
 水上神社の階段の左右に30cm角タイル6枚を合わせた縦90cm、横60cmの陶板が28箇所、壁に埋められている。平成7年に完成し貴重な観光資源になっています。

 水上神社は、前身の諏訪神社に慶長二年(1597年)再建の棟札が残っています。豊臣秀吉の側近である森氏による支配の時期です。この年は豊臣秀吉による2度目の朝鮮出兵(慶長の役)がありました。
(もっと知ろう“陶”より)


陶町水上 水上神社

瑞浪市陶町水上894・895
【祭神】建御名方命・八坂刀売神・天照皇大神・大山咋神
【例祭日】10月第2日曜日
【由緒】創祀未詳であるが、慶長2年(1597)正月21日再建。大正2年6月23日、字田尻村社神明神社、字日向日吉神社を合併し、元諏訪神社を水上神社と改称する。大正2年に元々ここにあった諏訪神社と田尻神明神社・日向日吉神社の三社を合併し、水上神社と改称して設立された。
 入口の神明鳥居がその時に建立された。元の諏訪神社には、慶長2年(1597)再興の棟札があり、江戸時代以前からここに神社があった。本殿は、間口三尺五寸の桧皮葺神明造の立派なもので、渡り廊下で拝殿とつながっている。88段の石段を登りつめた所に馬場があり昔はここで、9月10日の神楽と10月1日の例祭に馬を走らせたものであるが、近年その伝統も絶えた。馬場からさらに20段上った正面に拝殿と左側に真新しい社務所が建っている。境内には、江戸時代に造られた燈龍や水盤、大正・昭和• 平成の御大典記念に建てられた各種の石造物がいくつか見られる。
(岐阜県神社名鑑より)

祭神 建御名方神(たけみなかたのかみ)八坂刀賣神(やさかとめのかみ)天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)大山昨神(おおやまくいのかみ)
水上神社
瑞浪市陶町水上894・895番地

境内擁壁に狂俳陶板
 水上神社の鳥居の前に立つと、急な石段とその左右に立派な陶板のはめこまれた擁壁が目に入ります。
 陶板は、いずれも縦90センチメートル横60センチメートルで28枚あり、それぞれに狂俳とそれに因んだ絵が焼き付けられています。
ここ陶町水上地区は、昔から狂俳が盛んで、毎年の夏祭には作品を募集し、選ばれた160句を一つずつ燈籠に書き絵を添えて道筋に吊るすのでとても美しく賑やかです。
 狂俳というのは、与えられた題に五・七音の句を付けるというもので、200年程前に伊勢の三浦樗良が始めたといわれる世界一短い文芸です。
 平成7年、建設省が石段の両側の急傾斜地に擁壁を造ることになった時、神社関係者と町づくり委員会が合同して建設省に働きかけ、ボランティアの協力で陶板を作成し、この見事な擁壁が完成しました。

大正2年三社を合併して設立
 当神社は、大正2年に元々ここにあった諏訪神社と田尻神明神社・日向日吉神社の三社を合併し、水上神社と改称して設立されたものです。
 入口の神明鳥居がその時に記念として建立されました。
 元の諏訪神社には、慶長2年(1597)再興の棟札がありますから、江戸時代以前からここに神社があったことがわかります。
 本殿は、間口三尺五寸の桧皮葺神明造の立派なもので、渡り廊下で拝殿とつながっています。

平成9年秋社務所改築
 88段の石段を登りつめた所に馬場があります。昔はここで、9月10日の神楽と10月1日の例祭に馬を走らせたものですが、近年その伝統も絶えてしまいました。
 馬場からさらに20段上った正面に拝殿と左側に真新しい社務所が建っています。以前からあった社務所が老朽化し、しかも手狭になったため氏子の皆さんから浄財を募って平成9年に改築されました。
 境内には、江戸時代に造られた燈籠や水盤、大正・昭和・平成の御大典記念に建てられた各種の石造物がいくつか見られます。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)


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