■ ダム

小里川第三発電所の貯水槽 瑞浪市陶町


小里川第三発電所の貯水槽

小里川発電所

 多治見電灯の創始者「加藤乙三郎」自ら測量など陣頭指揮にあたり、小里川に第一、第二、第三発電所を築いた。第一発電所の庭に大正11年4月竣工「天下恵人就効」の記念碑がある。碑の側面には工事担当の主要人物の名が刻まれその中には「設計監督加藤乙三郎・石工岡田九一郎・石積池田佐次郎・田口竹次郎・池田久吉」の名が刻まれている。石作りの芸術といわれる第三発電所のめがね橋「與運橋」は、唯一名前が付いた橋である。
 與運の意味を解釈すると①この発電所が、多くの運を呼び社業の発展につながるよう祈願した、②多くの人々に恵まれ運は良かった、の両者が考えられるが本当の意味は加藤乙三郎社長の胸の内である。

小里川第一発電所跡

 字象ヶ平小里川沿の東端にある旧発電所の前庭には「天下恵人就効」と刻まれた記念碑があり、大正11年4月発電所竣工記念に、多治見電燈所(中部電力の前身)が建てたものである。この発電所は出力180Kw で平成5年2月28日に、その使命を終るまでは、「川折の発電所」として親しまれてきた。
 小滝の第二発電所、與運橋の第三発電所と共にその姿は忘れられないものである。
 殊に第一発電所の発電機が、明治42年製作の日立製作所の水車発電機第1号であったとは驚いた。数多くの石で造られた発電所の諸施設とともに、貴重な記念物である。大切にしたい。

石づくりの倉庫が第三発電所敷地内にあり風呂場と台所に使われていた。

小里川第四発電所跡

 井土手旧道脇に発電所の建物があり、発電機の際りになんとなく圧迫感を覚えたものである。現在も杉の木の下あたりに導水管が残っている。なお、発電所(社宅併設)の建物は、発電所廃止に伴って解体され陶土製造工場が建てられていたが、現在は倉庫に転用されている。

(小里川ダムのふるさとより)

大正11年建設
小里川第一発電所

 明治時代以降、人々の生活や産業の近代化を進めるにあたり、電力開発は大きな課題でした。
 瑞浪市域の河川では大正7年、小里川に初めて発電所が造られ、大正14年までに小里川第一〜三発電所が開業しました。
 今回ご紹介する小里川第一発電所は、同第二発電所(大正7年開業)に次いで、大正11年(1922)に完成したもので、当初は多治見電灯第三発電所と呼ばれていました。
 各発電所は平成5年に役割を終え、多くの施設がダムに沈みましたが、第一発電所には唯一建物(木造)が残り、付近には石造りの倉庫や記念碑も見られます。
 記念碑には「天下恵人就効」等の文字が刻まれ、発電所建設に懸けた当時の技術者たちの熱意が感じられます。
【解説】瑞浪市教育委員会スポーツ・文化課 砂田普司 氏

小里川第三発電所の貯水槽
陶町猿爪

 前回に引き続き、小里川発電所に関連する近代化遺産、小里川第三発電所の貯水槽をご紹介します。
 同発電所は、三箇所の発電所のうち最上流に建設され、当初は多治見電灯第四発電所と呼ばれ、大正14年(1925)に開業しました。
 この貯水槽は発電所への送水用施設として造られたもので、高さは約7m(水槽部約4m)、長さは約18mもあります。
 セメントが普及していた当時にあって、あえて花崗岩を用いており、その下部(基礎部)を堅固な石造アーチが支える(石橋型貯水槽)という珍しい構造です。
 水没を免れた数少ない発電所施設で、小里川ダムウォーキングマップには「旧発電水路」と掲載されています。
【解説】瑞浪市教育委員会スポーツ・文化課 砂田普司 氏

小里川第三発電所の取水堰堤
陶町猿爪・恵那市

 小里川発電所に関連する近代化遺産、小里川第三発電所の取水堰堤をご紹介します。
 この取水堰堤は、貯水槽から約900m東方(上流)の小里川に設置されたもので、発電所と同様に大正13年(1924)頃に造られたものと思われます。
 高さ約3.6m、河川に露出した岩盤の上に築かれ、他の施設と同様に多くの石材が用いられているのが特徴です。
 設置後約90年を経ていますが当初の姿をよくとどめ、激流に耐える優れた構造であることを示しています。また、堰堤から下流
の河川南側に設けられた発電所への導水路にも膨大な量の花崗岩が用いられており、一見の価値があります。
【解説】瑞浪市教育委員会スポーツ・文化課 砂田普司 氏

(みずなみ商工会議所ニュース 瑞浪の魅力発見プロジェクトより)

川折の発電所

 小里川ダムの完成前、小里川には通称「川折の発電所」という3つの小規模水路式発電所がありました。下流から第1、第2、第3 と名付けられ、最下流の第1発電所こそ稲津町川折にありましたが、その上流の第2・第3は瑞浪市陶町水上にありました。建屋が小里川左岸にあり、左岸は陶町水上(右岸は山岡町田代)だからです。
 従って、残骸(発電所遺産)の発電用水路跡や道の駅「おばあちゃん市」に展示されている発電機や「與運橋(ようんばし)」と言われていた石造のアーチ橋(通称「めがね橋」)は陶町の遺産でもあります。
 発電所には住み込みの管理者がおり、その子どもは陶の学校に通っていました。猿爪川沿いの、通称小滝道を通って樋の下に出るのですが、小滝道は幅1~2mの山道です。下校の際は、夏場はともかく、冬場は真っ暗で心細かったことと思います。
 この発電所のうち完成したのは第2発電所が最も早く大正7年(1918年)に完成し、出力は130kwでした。続いて最下流の第1発電所が大正11年に完成(出力150kw)、最上流の第3発電所が最も遅く大正14年に完成(出力180kw)した。
 現在の小里川ダムの発電量は、1,800kwで一般家庭600世帯分というから、現在の猿爪分も賄えないことになります。昔の川折の発電所は3つの出力を合わせても460kwにしかなりません。これは、昔の電気使用量がいかに少なかったか、現在がいかに電気に依存した社会かを物語っています。

(もっと知ろう“陶”より)

小里川 川折発電所

 川折の発電所は多治見電燈所第3発電所として多治見電燈所の加藤乙三郎が、自己の持つ土木技術を駆使して建設した発電所である。
 「加藤乙三郎」聞いたような名前だなと思って調べてみると、戦後の高度成長期に中部電力会長、中部経団連の会長もしているのが加藤乙三郎である。中電の乙三郎は乙三郎2代目で多治見電燈創立者の加藤乙三郎 (初代)の子で襲名前の名は輝三郎であった。
 この発電所は3つの小規模水路式発電所からなり、下流から第1、第2、第3と名付けられていた。この地域の地場産業の発展、地域社会の近代化に大いに貢献したことは間違いない。
 この3つの発電所を、通称「川折の発電所」と呼ぶが、そのある位置は、最下流の第1発電所こそ稲津町の川折であるが、その上流の第2・第3は瑞浪市陶町水上である。この辺りの左岸は陶町、右岸は山岡町田代で、発電所は左岸にあったから陶町水上である。実際、私の同級生には、親が川折の発電所の管理人で、そこに住んでいたので毎日小滝道を通って陶中学校に通っていた子がいました。冬の下校時は真っ暗な山道で大変だったと思います。
 この発電所のうち完成したのは第2発電所が最も早く大正7年(1918年)に完成し、出力は130kwであった。続いて最下流の第1発電所が大正11年に完成(出力150kw)、最上流の第3発電所が最も遅く大正14年に完成(出力180kw)した。
 現在の小里川ダムの発電量は、1,800Kwで一般家庭600世帯分というから、現在の猿爪分も賄えないことになります。昔の川折の発電所は3つの出力を合わせても460kwにしかなりません。これは、昔の電気使用量がいかに少なかったか、現在がいかに電気に依存した社会かを物語っています。

<現在の川折発電所を散策>
 現在の川折発電所のうち、第2・第3は小里川ダムに水没し、最下流の第1発電所のみ現存しています。但し、ダムの完成と共にその役目を終え稼働はしていません。
 小里川下流から右に上記写真の第1発電所を見ながら上流方向に上ると、堤高114mを誇る小里川ダムを下から望むことができます。
 小里川ダムは平成15年に完成した洪水調節・環境維持・発電などを目的にした近代ダムであると同時に川折の発電所の息吹も感じさせる多目的ダムである。
 ダムの管理事務所を訪れると、塚田邦彦さんによる絵画「雪の発電所」が展示してあった。
 塚田さんは釜戸町出身の画家で御嶽の山々などの美しい風景画家として知られ、愛知県美術館などで個展を開いている。その塚田さんの大作が小里川ダムに寄贈され展示されているのである。
 第2発電所が水上の樋の下から下った(小滝街道)ところにあった。私にとっても懐かしい風景の絵画で感動を覚えた。
 ダムに沈んだ発電所には上記の絵画にも描かれている「與運橋(ようんばし)」と言われていた国内でも珍しい石造のアーチ橋がかけられていた。地元産の花崗岩を使用し、建造から約100年、大きな改造もなく耐えてきた誇るべき石造構造物である。
 この橋は多治見電燈発電所にとって川折の発電所が四番目の発電所であることから四運橋、四は縁起が悪いからと與運橋と名付けられたと言われています。その形から通称「めがね橋」とも呼ばれていました。
 ダムより更に上流に上り、川を渡ると原石山と呼ばれる広場がある。更に陶側に上ると発電のために水を流した水路跡を見ることができる。これもレンガ造りの立派な産業遺産である。
 また、ダム上流には、発電所への水の取水口を見ることができる。これまた、頑丈な石造の堰である。
 もうひとつ、沈んでしまった遺産として田代大滝を忘れてはいけない。その昔、その大滝の不動尊に陶の人と山岡の人が合同で雨乞い神事をしたという場所である。

(陶町歴史ロマンより)

1915 大正4 ・川折第二発電所建設さる
1920 大正9 ・川折第三発電所完成、日吉村営水力発電所建設工事着工、小田村伊藤亮一小里川自家用発電所を完成す

(瑞浪市の歴史より)

 川折第三発電所が建設されたのは大正九年で、それ迄に第二発電所は完成していた。この「多治見電燈」は大正十三年二月一日合併して「中部電力株式会社」 となった。

 


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