■ 中馬街道, ○ 陶地区, ★役行者様

陶町東町井の平 賽の神 行者様 秋葉神社 津島神社

陶町東町井の平 賽の神 行者様 秋葉神社 津島神社

 猿爪東町山中に行者様があります。11人の記名刻印がありますから水上滝坂同様に講中の建立だと思います。建立の時期は不明ですが、隣にある塞の神には享和3年(1803 年)の刻印がありますからこの頃だったのではと思われます。

 街道から少し外れますが、吹越を下り水野愼一さん宅東を右に曲がって山中に入ると、東町の人たちが守る「秋葉さん」「津島さん」があり、その横に「行者様」と「塞の神」(享和3年(1803年)の刻印あり)があります。「行者様」も「塞の神」も、村境で疫病の侵入を防ぐ、旅人の無事安全を守護する神様なのでこんな山中にあるのは不思議です。違う場所にあったのを道路工事などの理由でここに移したのではと思います。それともこんな高い所から村境を見守ったということでしょうか?

(陶町歴史ロマンより)

行者様

 井の平山中の行者様は、十名の願主名が刻印してあり、丸彫・岩坐姿・高足駄で、錫杖・経巻を持った端正で大型の役行者像である。

(陶町の歴史散策マップより)

役行者(えんのぎょうじゃ)

 役行者も、弘法らと同様に死後聖者として神格化された一人で、修験道開祖役小角(えんのこづね)の尊名です。役行者は奈良時代に大峰山・金峯山・富士山をはじめとする全国の霊山に修験して法力を得た呪術者で、一時追放されますが大宝元年(七〇一)には赦され、その後は天台・真言両密教の修験道にもとり入れられて仏となり、寛政十一年(一七九九)には朝廷からも「神変大菩薩」と諡号されたものです。

陶町猿爪東町井ノ平(丸彫像・役行者・願主村内十人)

 猿爪井ノ平サエノカミのものも丸彫・岩坐姿・高足駄の役行者石像で共に錫杖・経巻をもっているもので「奉建山筋」とあり伊藤・小木曽・曽根・加藤・中村・筒井ら十名の願主名がある端正で大型のものです。

塞神詞

 サエノカミは普通、塞神・妻神・歳神・幸神・障神・道祖神・セーノカミ・フナドノカミ・ドウロクジンなどと書かれたり呼ばれたりする、日本古来からの習俗・民俗による信仰から来た神で、やがて村の入ロや境を守る神、外からの悪魔を塞ぎ追い払う神として比定され「塞」の字を当てたのは平田篤胤による文政年間からのこととされています。

陶町猿爪東町原境(享和二・一八〇二・石寵・願主大嶋・影山氏・村境)

 陶町東町のものは、サエノカミと呼ばれる山岡町原との村境に近い丘の上に造立された全高一メートルの実に立派な石龕で「享和二亥年十一月吉日 願主大嶋氏 影山氏」とだけあるものです。役行者石像と並んでいます。

(ふるさとの石仏より)

猿爪の役行者像

 建立年号不明 丸彫り総高 七七cm、土台に刻銘 奉建 山筋 十名連記(伊藤・小木曽・中村・筒井・曽根・加藤ら) ひざ下二一cm 、巻物十cm、ひげ十一cm。

(瑞浪の石造物より)

二人の行者様

 陶には丸彫り石像の行者様が猿爪東町と水上滝坂にいらっしゃいます。
 行者様とは、奈良県の吉野山金峰山蔵王権現のもとで、厳寒の滝に打たれる修行、夜を徹して何十里も歩く歩行修行、千丈の山を登る山岳修行、真夏の火わたり修行等厳しい修行を通して、私心を捨て、悟りをひらく修験者です。(山伏ともいう)
 猿爪の行者様が野天で、はっきり姿かたちが見えるので、一見して行者様と判るが、水上の行者様は石祠に入っているのでよく見ないと行者様とは判らない。ただし、水上の行者様(ご坊様とも呼ばれる)は、人懐っこくあまり近寄ると、その人に負ぶさるとかで、遠慮して遠くからお詣りするのが習わしだそうです。
 「すえまちむかしばなし」(小木曽茂博氏著)によると、厳しい修行を終えて陶に帰った行者様は、病気で苦しんでいる人がいると聞けばすぐにとんで行き、祈祷をし、手厚い看護をし、行者にんにくなども分け与えるという功徳をつんだという。
 お世話になった行者様が亡くなってからも、病気平癒の神様として石仏の行者様を建立し崇めたのであろう。
 二つとも江戸末期1800 年頃の作といわれています。無医村の時代ですから、病気平癒は神仏に頼る素朴な信仰心が伺われます。
○「陶町の石造物」(上手玉喜著)によると
・東町 先達 景山助八 ほか11名を記銘
 景山助八を先達に猿爪村を中心に行者講を組み、信心し、建立したと思われます。
・水上 水上大川曽木村講中の記銘
 水上、大川、曽木村の三村で行者講を組み、信心し、建立したと思われます。
(行者講:金峰山に参詣する団体。代表が参詣し、残った人は地元で無事帰還を祈願した。)

(もっと知ろう“陶”より)