■ 橋

天狗岩 天狗橋 馬頭観音 岐阜県 瑞浪市 明世町

 天狗岩は、天狗橋の西にある巨岩で今は木が生い茂りわかりにくいのですが、古い写真を見ると天狗の顔の形をしているように見えます。
 天狗橋は、その下にある橋で大正14年(1925)年に造られました。花崗岩で造られた石造アーチ橋でしたが、今はアスファルト舗装がされ、橋の幅も拡幅されています。橋の下の部分に石のアーチ部分を見ることができます。この橋は市内に残る唯一の石造アーチ橋になります。
 大きな岩が重なり合い、近くには甌穴(おうけつ)も点在します。附近には村営水力発電所跡地やそこに至る石積水路、水門トンネルなどもあります。
 日吉川に架る天狗橋の両橋詰に馬頭観音が2つあります。一方は天狗岩の下の断崖の間の薄暗い所に、もう一方は防壁網を破り祀ってあります。近くの女性が、あるキッカケで草深い中より頭がない馬頭観音を見つけ、頭の部分に丸い石をのせ、清め花を添え供養されてたといわれています。現在は頭のある馬頭観音に変わっています。そして、車社会の現在も通る人の安全を祈っています。





天狗橋(明世町山野内・月吉)

 日吉川沿いを通る県道大西瑞浪線は、かつて加茂街道、南北街道と呼ばれていました。
 この道路は明治22年から整備が始まり、明治38年までに深沢・木曽川までの整備が完了しました。この整備により荷車による通行が可能となり、日吉村の各地区と下街道との物流が活発となりました。
 今回ご紹介する天狗橋は、大正14年(1925)にこの街道に設
けられた橋で、完成当時は全てが石で造られた石造アーチ橋でした。
 現在はアスファルト舗装がなされ、橋の幅も広げられていますが、橋の下方では石造のアーチ部分を見ることができます。
 前回ご紹介した與運橋が移設された現在、天狗橋は市内に残る唯一の石造アーチ橋です。
【解説】瑞浪市教育委員会スポーツ・文化課 砂田普司 氏

(みずなみ商工会議所ニュースより)


天狗沢井水

 元禄十一年(一六九八)の岩村領山野内・河合両村は天狗沢(日吉川)井水論争をおこしたが話し合いはもつれ、遂に江戸評定所へ出訴し同十二年裁可があり山野内村が勝訴した。享保十四(一七二九)山野内村と戸狩村が山論に及びこれも江戸へ出訴して勝訴したその後に、明白寺の和尚の提唱により、山野内村が安心
して農業経営ができるのは先祖の遺徳であるから、感謝しなければならないと村役人に呼びかけ、これが機縁となって、毎年七月のお盆過ぎに明白寺の庭へ集まり、治山治水の感謝祭を行うようになったと伝えられている。このお祭りには水論で裁可された書類と山論で裁可された絵地図と裏書き証文を拡げ、村人に見せ、今後隣村と仲よくおつきあいすることを誓い合って延享元年甲子歳(一七四四)より今日まで続いていることは他に類例のない行事として紹介する。


天狗橋

 享保十四年の村絵図に示された山野内村対河合村の井堰論に関連。
 明治十七年、月吉村戸長山内安半次郎氏と山野内村戸長伊東文次郎氏は相談の結果、坂道の多い月吉道を日吉川沿いに開くことをそれぞれの村へ建議した。北方地域の日吉郷十ーカ村では、明治十四年の新中街道開通以来、これと交差する深沢ー細久手ー白倉ー本郷の旧細久手宿への伝馬道の改修工事が考えられて来、山野内・月吉の共同建議にタイアップして日吉地区から下街道直結の道として改良、新設されることになり、山野内地内の天狗沢、日吉境いの柄石淵(柄石川合流点)などの難所を克服して、明治二二年、山野内より下本郷まで、以後十六年の歳月の後に日吉南北街道(加茂街道)が完成された。当時の工法で、岩石を切り落とすことや、橋をかけることは至難の技と考えられたが、西洋の技術を取り入れた新工法で天狗沢にアーチ式石橋が大正十四年完成されたのは、画期的なことである。
 天狗橋は川巾の最も狭まった四・五mの天狗淵の岩上に、長さ一三・五m、道巾は四m、如何なる洪水にも負けない石橋。
 昭和四五年拡巾工事で補強され両側拡巾で昔の姿は外観では見えないが、淵の上の岩盤まで降りて見上げると昔の工法の姿がのぞき見することができる。岩盤からアーチの中心部まで、五〇×四〇×五〇mの花崗岩の岩材が二十個接着され中央部は、ひとまわり大きい岩材で対岩より積み上げられてきた二十個の岩材をかみしめるかのように連結している。
 かの長崎眼鏡橋は興福寺の開山として来朝した黙子如定禅師が、寛永十一年(一六三四)に架橋したもので従来わが国にはなかったアーチ式橋台の石橋(昨年未曽有の大洪水で大破損後修理された)であるが、時代はぐんと新しいが、アーチ式の石橋ができたことは郷土の誇りでもある。月吉に中電の変電所ができる時、拡巾工事がなされたが、昔の姿をこわさないで包みかくすように拡巾されたことは嬉しい限りだ。
 区画整理をされた上平町には昔、七ッ橋と呼ばれる石橋(元禄八乙亥歳仲春=中野橋)などがあったが、すべてこわされて近代式なコンクリート橋になってしまった。市内には、このような状態で石橋が無くなっていく昨今、保護対策も考えねばならないかと思う。


日吉川甌穴(おうけつ)群(市指定)

・所在地:明世町山野内字三ツ岩・字西山 明世町月吉字堀田
・昭和63年3月16日指定

 甌穴とは岩盤の窪みに入った小石が水の流れによって回転し、岩盤を削ってできた穴のことです。長野県上松市の「寝覚の床」や岐阜県七宗町の「飛水峡」などは特に有名です。
 日吉川の天狗橋上流約200mと、下流約250mの計約450mが指定区域となっており、川幅は天狗橋付近で20m、指定面積は約9,000㎡です。
 この地域の川床は長石の結晶が目立つ花崗岩でできており、また岩盤の節理(せつり)(割れ目)が多いため甌穴ができやすい環境と言えます。河蝕形の分類によると、スプーン型(スプーンに似た型で、岩石の小さな節理にそって生じたもの)、流動型(偏平な岩盤が小さな波の形に浸蝕されたもの)、溝穴型(岩盤の節理が細長く溝状になったもの)、甌穴型(瓶(かめ)型に浸蝕されたもの)、複甌穴型等、変化に富んだ甌穴が見られます。
 さらには、現在の水面より3m~3.5m上の部分にも溝穴型、円形の甌穴群が見られることから、かってこの周辺で土地の隆起があったことが分かります。


(山野内天狗岩の下流でよんだと伝えられる歌)

河合や 槇の裾原 石立てて 杣人いかに 涼しかるらん
よる昼の さかいはここに 有明の 月吉日吉 里をならべて
あめつちの 声のどけきは かまど山 草木と共に 春は来にけり
   伝・西行法師


天狗橋詰馬頭観音

 大きな岩が重なり合い、近くには甌穴(おうけつ)も点在しま
す。周囲の山全体が岩でおおわれ、今にも崩れ落ちて来そうです。附近には村営水力発電所跡地やそこに至る石積水路、水門トンネルなどもあります。
 岩間に出来る氷柱(つらら)の芸術、春には万作が咲き、四季折々の風情が愉しめる景勝地です。その渓流(日吉川)に架る天狗橋の両橋詰に観音が2つあります。一方は断崖の間の薄暗い所に、もう一方は頭がなく石をのせ防壁網を破り祀ってあります。近くの女性が、あるキッカケで草深い中より探し出され、清め、花を添え供養されており、車社会の現在も通る人の安全を祈っています。
 この天狗橋は花崗岩材を積んだアーチ式の石橋で、大正末に造られました。
 昭和40年代の拡巾工事の際には、その姿を残すべく抱み隠すよう行われました。
 「領徳碑」(天狗沢井論)の現場はこの橋の下手に当ります。(あけ世温泉より日吉川に添って200メートル下る。)


治山治水 頌徳碑(しょうとくひ)

 たびたび隣村と山の境界(狭間洞境論)や水利権(天狗沢井水論)をめぐって争いが絶えなかった時、江戸評定所へ出訴し、勝訴に導いてくれたご先祖の偉徳に感謝する意と、隣村と仲良くすることを誓って建てられた碑です。
 碑の裏側には、江戸出訴の名主、組頭、百姓名が刻まれています。
 春の彼岸には、裁可された裏書証文、絵地図(畳4帖位)を拡げ、その子孫の方を最前列にお招きし、感謝祭が230年前より今日まで続けられています。
 太陽社(旧明世小学校)より東へ200メートルを左に入り市内最古の石の鳥居を横に50メートル程進み第2の鳥居(江戸中期奉納の自然石の灯寵、水盤、庚申仏がある。)を潜り、深い森の中の石の階段二つ登ると、吉備神社拝殿に着きます。その右側に、稲荷、忠魂碑と並んで建立してあります。

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