六地蔵
地蔵が六道を巡って衆生を救済するということから、六つの分身を考えて六地蔵として信仰することが平安末期に始まったと云われている。
寺院や墓地の入ロにみられるようになったのは室町末期からだということである。丸彫像や舟形光背浮彫像を六体並べて建てたものやーつの石塔に六体並べて彫ったものや、石幢に彫ったものなどいろいろあるようだが、稲津には舟形光背浮彫立像を六体並べて建てたのがニカ所と六面幢に六地蔵を彫ったものとがある。
六地蔵の像容は、出典により諸説があり、また持物・印相による像形の違いもあるという。
六地蔵
小里平岩墓地
舟形光背浮彫立像
H62cm均一
紀年銘等なし
仏説地蔵菩薩 発心因縁十王経
予天賀地蔵
左手 如意珠 右手 説法印
放天王地蔵
左手 錫杖 右手 与願印
金剛幢地蔵
左手 金剛幢 右手 施無畏印
金剛悲地蔵
左手 錫杖 右手 引摂(いんじよう)印
金剛宝地蔵
左手 宝珠 右手 甘露印
金剛願地蔵
左手 間魔幢 右手 成弁印
(稲津の石造物より)
平岩(おーらんと)墓地入口の六地蔵
平岩墓地の入口にお地蔵さんが6体、お行儀良く並んでいる。お地蔵さんが六道をめぐって衆生(しゅじょう)を救うということから六つの分身を考え、六地蔵として信仰する事が平安末期に始まったといわれ、これを寺院や墓地の入口に置くようになったのは室町末期以降のこととされている。平岩墓地の六地蔵には年代が刻銘されていないが、稲津町内の六地蔵はここと興徳寺西墓地のニケ所しかこの型式のものはなく珍しがられている。平岩墓地は“おーらんとのお墓”といった方が通りがよく花魁(おいらん)と関係があるのではという人もいるが、大きな卵搭場(らんとうば)で大きな墓地のことである。
(小里川ダムのふるさとより)
名号塔
自然石加工 小里平岩墓地
H125cm W41cm
刻銘
南無阿弥陀佛 安政五戊午年(一八五八)十一月 日 念仏連中
(稲津の石造物より)