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豊拓神社 豊拓稲荷神社 瑞浪市釜戸町平山

釜戸町平山 豊拓神社

祭神 豊受大神(とようけのおおかみ)
豊拓神社(ほうたくじんじゃ)
瑞浪市釜戸町平山

開拓者の願いを託し神社建立
 平山地区は昭和30年代になっても自動車道路がなく、陸の孤島とも言われる所でした。
 しかし、広い原野をもっていたので、昭和33年、国・県・市の指導と補助により、酪農・養蚕の振興を目指した開拓計画が樹てられました。
 昭和36年着工、昭和38年に総工費3億円をもって、耕地面積56ヘクタール、道路延長5200メートルの大事業が、完工しました。
 当時の農林大臣は河野一郎氏、県知事は松野幸泰氏、市長は加藤亮一氏で、多くの有能な方々の指導を得て、見事な完工をみることができたのです。
 さらに、昭和48年から2年間で、8000メートルに及ぶ道路改良工事が施行されました。工事費は2億円、国県市の大きな補助と、地元の多大な負担によって、平山地区は陸の孤島から脱することができました。
 この間、昭和39年に、開拓者一同心を合わせて伊勢の地から豊受大神を勧請し、豊拓神社を建立しました。
 豊拓の名には、開拓者の願いがこめられています。
 毎年、9月15日には例祭を行って、神に感謝し、氏子繁昌を祈っております。


豊拓稲荷神社
 昭和49年4月6日、開拓地区の中で狐の死んでいるのが見つかりました。さらに、同月13日には、二反田道路と長場の田に狐の死んでいるのが発見されました。
 これだけ続いて狐の死体が見つかるのはあまりに不思議なことであると、一同協議して、3匹並べて埋葬することにしました。場所は開拓公民館の前と決め、たまたま足立由太郎氏の犬がくわえてきた雉子を供えて、丁寧に葬りました。そして、ここに豊拓稲荷神社を建立しました。
 このように希望に燃えた開拓の村づくりも、激しい時代の変化にさらされ、今では酪農・養蚕を営む家はほとんどありません。
 しかし、開拓者の精神と敬神の念は変わることなく受け継がれております。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)


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