■ 寺院, ■ 芭蕉句碑, ○ 日吉地区

小高弘法堂と石造物群

小高弘法堂と石造物群

小高弘法堂の俳聖句碑 日吉町本郷

日吉町小高弘法堂(宝暦十二・一七六二・自然碑・俳聖句・あら尊…寸志)

 日吉町小高弘法堂の宝暦十二年の「あら尊ふと 青葉若葉に 日のひかり・宝暦十二壬午十月十二日 寸芝建立 若葉塚 古翁七十年忌供養 月次連中同志」の俳聖句碑は、地元の峯松館寸芝(志)を中心とする、いまから約ニ百二十年ほど前の日吉句会グループによる建立です。
 当市内の庶民文化の開花期は宝暦年中(一七五一~)を第一期としますが、寸芝は日吉地区の第一人者で、釜戸地区の安藤松軒(範高・竉山人)・白兎(範倶・喫茶仙)父子、月吉地区の野鶴園和水らと共にこの宝暦開花期の郷土文芸界を指導したメンバーの一人です。
 彼は、宝暦六年、地元本郷神明神社の再建に際して、本殿に巣をかけて大工や村民を悩ませていた蜂の大群が一夜にして飛去って呉れたことに感じて「虻蜂の 邪気やしずめる 森の月」の一句を再建棟札に残し、同十年には釜戸の同人グループの一人である松井玄宥の死を惜しんで「孫彦に 咲けとて散るや 老の花」ほかの追善句を寄せており、この俳聖句碑は芭蕉の七十年忌に当るこの年に同志と共に芭蕉供養碑として建立したもので、自分もその横の「寸志塚」に祀られているもので
す。

(ふるさとの古道と歌碑より)

小高弘法堂の名号塔

日吉町本郷小高弘法堂(寛延三・一七五〇・笠塔婆・三界万霊十方至聖)

 日吉小高弘法堂の寛延三年のものは塔身の側面に「三界万霊十万至聖」と刻まれた塔身の長い、より典型的な笠塔婆の塔型のものです。

小高弘法堂の刻経塔

日吉町小高弘法堂(延享五・一七四八・刻経塔・四面種子・陀羅尼偈文)

 本郷小高弘法堂のものは基礎部が低いのに塔高二・一m、台座部に「延享五戊辰六月二十一日 開元院現住良夫謹記 願主足元道知」とあるもので、良夫大貞和尚は開元院の十六世、足元道知は、この小高弘法堂だけでも阿弥陀石像をはじめ数々の石仏を造立している功徳者です。

小高弘法堂の万霊塔

日吉町小高弘法堂(寛延三・一七五〇・笠塔婆・三界万霊十方至聖・名号)

 日吉町小高弘法堂のものは、市内で最も典型的な笠塔婆に、名号と「三界万霊十方至聖  寛延二庚午十二月吉祥日」とある特に美しい塔様のものです。

本郷小高弘法堂の俳聖歌碑

小高弘法堂の三十三所観音

小高弘法堂の馬頭

(ふるさとの石碑と灯篭より)

小高弘法堂の石仏群

如意輪観音像(日吉町小高弘法堂)

阿弥陀如来石像

日吉町本郷小高弘法堂(享保四・一七一九・丸・立・来迎印・足元道知・無庇)

 日吉町小高弘法堂のものも全く無庇の丸彫りの美しい姿の立像で、来迎印がこれまた正しく刻まれていて市内の阿弥陀石仏の代表作といえ、基礎(台石)に「足元道智・享保四年」とあるものです。造立者の道智(知)はこの時代にこの小高弘法堂境内にだけでも+体に近い石仏を造立しており、市内でも五指に入る功徳者の一人です。

阿弥陀三尊石像

日吉町本郷小高弘法堂(元文・延享以前か・光・堂内に安置されている)

 本郷小高の阿弥陀三尊石像も光背型のものですが、やや小型で、堂内に安置されています。この小高弘法堂には正徳(一七一一)享保(一七一六)ころから文化・文政に亘る数多くの石仏があり、 一度は探訪して欲しい所です。

小高弘法堂の薬師

小高弘法堂の弥勤菩薩石像

日吉町本郷小高弘法堂(享保ころ・光・坐・宝塔印・足元道知造立)

 日吉町本郷小高弘法堂の弥勤像は足元道知による享保ころのものです。

千手観音立像(日吉町小高弘法堂)

如意輪観音(日吉町小高弘法堂)

小高弘法堂の聖観音立像(日吉町本郷)

日吉町本郷小高弘法堂(正徳五・一七一五・丸・立・左蓮華・右与願・道知)

日吉町本郷小高弘法堂(享保初年ごろか・光・立・左蓮華・右与願・秋葉)

 本郷小高弘法堂の正徳五年(一七一五)の足元道知による丸彫像は、容貌も同氏による享保四年(一七一九)の阿弥陀如来石造に類似していて同一石匠の作と考えられ、光背型のものは、年号が刻まれていませんが周囲の石仏から享保ころのものと思われ、左手に蓮華、右手は与願印の正しい像形で「秋葉観音」と光背部に刻まれており、宝髪も高く、市内で最も「美人」と思われる美しい像容の聖観音です。

十一面観音石像

日吉町本郷小高弘法堂(元文五・一七四〇・十一面観音・三十三所観音中)

千手観音石像

日吉町本郷小高弘法堂(元文五・一七四〇・千手十一面・十六瞥・坐・五番)

日吉町本郷小高弘法堂(元文五・一七四〇・千手十一面・十六瞥・坐・三番)

准提観音

 六観音(七観音)のーつで、三眼十八腎、あるいは八臂とされ、その像形は普通胸前の説法印の両手を除き、各手は剣・数珠・手斧・水瓶・羅索・輪・経(筐らを持っと説かれていますが、六観音や三十三所観音の中のほかは、独尊としての造立例は極めて少ないとされています。

日吉町小高弘法堂(元文五・一七四〇・准提観音・三面・坐・十一番)

不空羂索観音

 変化観音のーつで七観音のーつに加えられ、像形は普通八臂とされますが、異形像が多い観音です。しかし、どの像形でもーつの手に羂索を持っ像容に彫られるのが特徴です。 羂索というのは鳥や獣を捕える網のことで、この観音は「大悲のこの羂索で一切の衆生の苦難を救う」と説かれ、あらゆる罪を滅する功徳を備えるとされています。

日吉町小高弘法堂 (元文五・一七四〇・不空羂索・三十三所観音中九番)

如意輪観音石像

日吉町本郷小高弘法堂(享保六・一七二一・丸・坐・二臂・思惟・蓮華座)

日吉町本郷小高弘法堂(天明九・一七八九・光・坐・二臂・思惟・蓮華座)

 小高弘法堂のものは、足元道知によるやや大型のもので、ここには、天明六年のものもあります。

三十三所観音石像

日吉町本郷小高弘法堂(元文五・一七四〇・主尊とも三十三体・完全)

 日吉町小高弘法堂のものは像容も良く鮮細に彫られ、数体のものには造立者の名も刻まれています。

庚申石像

本郷小高弘法堂(享保六・一七二一・六臂像・三猿・一大蛇)

 日吉町小高弘法堂のものも南垣外によく似た六臂・三猿・一大蛇の像形で、持物も同じで、あるいは同一石匠によるものかも知れません。この二例は第三手で大蛇と羂索をしっかり握っている造立例として特記されます。

本郷小高弘法堂(文化五・一八〇八・六臂像・二大蛇か)

 小高弘法堂の右手の堂に祀られている六臂像は主手の左手で大蛇を握り、第三手も弓・矢という持物であるほか、もう一匹の大蛇を身に纏う像形のもので「文化五辰十二月吉日」と安藤氏ら八人の名があるものです。

弘法大師像

本郷小高弘法堂(享保~元文・丸・坐・堂の軒下・定印・道知)

 本郷小高弘法堂のものは、右手に鈷、左手に念珠という大師像の像形と違い、珍らしい法界定印のやや大型のものです。

(ふるさとの石仏より)

小高弘法堂境内の納経供養塔(日吉本郷)

 形態は戸狩清来寺によく似た型式である。

小高弘法堂境内の句碑

 宝暦年間、日吉の寸志は峯松館と称して活躍、本郷神明神社の再建では「虻蜂の 邪気やしずめる 森の月」と棟札に残し、同十二年七十年忌供養の句碑を建立した。
 あら尊ふと
  青葉若葉に
   日のひかり
 自分もその側の「寸志塚」に葬られている。

日吉小高弘法堂 句碑 宝暦十二壬午 十月十二日寸志建立月次連中蕉翁 93×46 七十年忌供養

(瑞浪の石造物より)

市内の俳聖句碑

 松軒などの努力によって、延享・寛延のころには市内各地に句会もでき、松軒の没後は寸芝・和水・白兎らかリーダーになります。
 こうした中で、寸芝を中心とした日吉句会では、宝暦十二年(一七六二)に俳聖芭蕉の七十年忌供養会を催し、本郷小高弘法堂に「あら尊ふと………」の芭蕉の句の供養碑を建てています。

あら尊ふと 青葉若葉に 日のひかり

(瑞浪市の歴史より)

小高弘法堂の石仏群 日吉町本郷

 市内各所の観音堂・弘法堂などの境内にはいずれも石仏・石造物群がみられ、庶民信仰の遺物として貴重である。この小高弘法堂境内には三十三観音をはじめ地蔵・観音・石造物群のほか俳聖句碑・寸芝の青葉塚らもありそのうちの代表的場所としてあげられる。

 小高弘法堂には、正徳五年(一七一五)以降の三十三仏、宝暦十二年(一七四八)の芭蕉供養旬碑ほか石造物群があり、辻には安政七年(万延元年・一八六〇)の「右ハかまど大くて」の道標もあってこの小高道が釜戸への旧中街道として使用されていたことを立証しており、さらにツバクロ口の嘉永二年(一八四九)巡国碑には「右釜戸道 左日宮道」とあり、小高道・日宮道がここで合していたことを教えている。

(瑞浪市史 歴史編より)