慶長19年(1614)伊藤氏および村中により、同じ地名の京都北野天満宮より祭神を勧請し天神社として造立され、産土神および文字の神として祭祀されました。
明治12年に北野神社と改称されました。宝永・明和・寛政以降の棟札が残り、木彫の狛犬が奉納されています。
学間の神 管原道真公をお祀りしているので、その年の高校や大学の入試合格や、各種会社の入社試験合格を願って親子共参拝する姿が目立ちます。
日吉町北野 北野神社
瑞浪市日吉町6535
【祭神】菅原道真
【例祭日】3月25日近い日曜日
【由緒】創建年月日は不詳であるが慶長十九年(1614)甲寅菊月十七日造立の棟札があり、古老の伝によれば、「往昔太しき御神威を顕し給ひしにより遠国の人民も之を信じ瞼路隔地を厭はず参詣をなせしことあり」と言う。今に至っても常陸国人などが桧木をもって細刀小剣を数十口製造し、当社に献納した。当社の御神威は遼遠の国までも広く知られる。古来村社。また明治12年12月19日官を請けて天神社を改め北野神社とした。昭和21年政教分離により神社本庁に所属する。
(岐阜県神社名鑑より)
祭神 菅原道眞(すがわらみちざね)
北野神社
瑞浪市日吉町6535番地(北野)
他県からの参拝者もある天神様
この北野神社は、参道入口にある由緒板に記されている通り、慶長19年(1614)に天神社として創建されたものです。
北野の地は、日吉の北部に位置する高原の野で古くから「北野」と呼ばれており、その地名に因んで北野神社を勧請し祀ったものと考えられます。
現存最古の棟札は次の通りで、県史の史料編にも登載されています。
祭神は学問の神として広く崇敬されている菅原道眞公ですから、進学祈願をする人や字の上達を願う人達のお参りが多く、毎年一月に行う進学祈願祭には、遠く愛知県や静岡県からの参拝者もあり、拝殿がいっぱいになります。
また、元禄の頃の作と考えられる木彫の狛犬一対が奉納されていることも特筆できることの一つです。
拝殿の西に、高さ2.4メートルの大板石の碑が建てられていますが、これは、明治35年に菅公一千年祭が行われた時の記念碑です。
表に頌徳(しょうとく)の辞が刻まれ、裏に記念事業の為に寄附した人や団体の名が記されていますが、そこには土岐郡、可児郡、恵那郡のたくさんの学校名や崇敬者の名が見え、いかに広い範囲から多くの協賛があったかがよくわかります。
また、大正4年には、御大典記念として、梅林がつくられ、年々立派になっていましたが、昭和34年の伊勢湾台風で境内の老樹と共に倒されてしまいました。さらに本殿も被害を受け、拝殿も倒壊してしまいましたので、その後、本殿の修理と拝殿、社務所の新築が行われました。
氏子数は僅か30戸ですが、そのほとんどが伊藤姓で新しく住みついた人も交えて団結固く、祭祀の伝統が立派に守り継がれております。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)