人足くじ場跡
西坂の辻で県道と分かれて西進すると街道沿いに二・三戸の人家があり、この辺りをくじ場跡という。かって出茶屋もあり、日稼ぎの人足や駕篭かきたちが大湫宿や御嵩宿への荷の順番を決めて、たむろしていた場所といい、文政七年(一八二四)ほかの馬頭観音石像や古い井戸、池の跡がいまも残っている。
(中山道ガイドブック)
「人足くじ場」の地名のことや、雲助稼業の記事などから考えて、文化・文政年間以降にあっては、宿近隣の村々にはこの相対賃継稼ぎを日課として生計を立てる者や、宿はずれに居付いて稼業とするものも現われて、宿が近辺村民の生計に影響を与えていたことは想像される。
(瑞浪市史 歴史編より)
平岩くじ場横の馬頭観音
平岩の馬頭観音から東へ約190mの中山道北側に所在します。高さ約57cmの花巌岩類製で、文政7年(1824) の銘を有します。
馬頭観世音
文政七年十月
中山道 平岩・細久手の中間北側