細久手宿 本陣跡
慶長15年(1651)小栗十郎左衛門が開設。
石川県加賀藩前田公の寵愛をうけ中央で要職を務める。
明治維新で廃陣となる。
墓地は当地北500m本陣山に現存する。
細久手長寿クラブ
(現地看板より)
本陣・脇本陣跡 瑞浪市日吉町細久手
細久手宿内の町並みは、過疎化のことから随分と寂しくなった。
宿の本陣(小栗家)は中町北(右)側にあって間ロ一三間(約ニニm) 、建坪五八坪、部屋数一四。脇本陣(小栗家)は下町南(左)側にあって間ロ一〇間、建坪三五坪、部屋数七というものであったが、いまは両方とも毀されて跡だけで残念である。
(瑞浪市の中山道ガイドブックより)
村の行政については、本陣は白倉から出た小栗氏が世襲し、脇本陣についても同一族が世襲した。問屋は二人制で、本陣兼務の小栗氏と平岩から出た酒井氏が世襲し、名主(庄屋)についても本陣の小栗氏が兼ねていたとされる。また宿場にはこの他に「尾張藩定本陣」である問屋酒井家宅があり、現在も当時の旅籠名である「大黒屋」として営業を続けている。尾張藩以外の大名も予備本陣として休泊したとされるこの建物は、往時の面影を残す建物が少なくなった細久手宿において貴重な文化財である。
○細久手宿脇本陣跡
細久手宿の南西部分南側に位置し、現在は空地となっている。当主については、当初の頃は不明であるが、後半期は本陣と同氏一族の小栗家であったとされる。
文化十(1813)年の『濃州土岐郡細久手宿火事注進書』には長8間梁4間の萱家と、長6間梁2間の添家の存在が記され、幕末頃の建坪は約62坪(約205㎡)であった。
≪古記録≫
脇本陣 凡建坪六拾弐坪余 門構・玄関附 中町 壱軒〔中山道宿村大概帳〕
○細久手宿本陣跡
細久手宿の南西部分北側に位置し、現在は宅地(空家)となっている。当主は宿場設置の際に白倉(日吉町)から出た小栗氏で、代々庄屋と問屋を勤めた。
文化十(1813)年の『濃州土岐郡細久手宿火事注進書』には長13間梁4間半の萱家、長3間梁2間の萱葺門、長4間梁2間の萱葺長屋、長6間梁2間の添家、長3間梁2間の添家の存在が記され。幕末頃の建坪は約123坪(約406㎡)であった。
≪古記録≫
本陣 凡建坪百弐拾三坪余 門構・玄関附 中町 壱軒〔中山道宿村大概帳〕
(歴史の道 中山道保存整備事業報告書より)