■ 神社 神様

八幡神社 瑞浪市稲津町萩原

萩原 八幡神社

瑞浪市稲津町萩原1593
【祭神】誉田別命
【境内社】神明神社・萩原祖霊杜・若宮神社・郷里神社
【例祭日】10月第2日曜日
【由緒】元徳元年(1331)9月15日後醍醐天皇の御代、願主、工藤惣兵衛常重により勧請すとあるが詳細は不明。昭和27年には萩原孫二郎国実公一族を祖先神として萩原祖霊社を創建した。萩原地区等の氏子の祖霊を春秋の祭礼時に、合祀される。
(岐阜県神社名鑑より)


八幡神社由緒

御祭神 譽田別命(ほむたわけのみこと)
境内社 神明神社 若宮神社 郷主神社 萩原祖霊社
例祭日 十月十五日または近い日曜日

 この神社は元徳元年(1329年)九月十五日、後醍醐天皇の御代工藤惣兵衛常重勧請とあるも詳細は不明であるか、私たちの祖先は無窮の篤い祈りを捧げ御加護を願ってきた産土神です
 貞享元年(1684年)氏子が一つ心になって再建したと銘記した棟札が現存し昭和五十八年には中興参百年祭を厳かに斎行して以後十年ごとに式年大祭と定めました
 萩原祖霊社は昭和二十七年創建、萩原孫二郎国実を祖神とし氏子の祖先二一九三柱(平成五年三月現在)を奉斎年ごとの春秋の大祭には帰幽された氏子の神霊を合祀して祖先の恩と恵に感謝し祭祀を厳修しています

(現地看板より)

祭神 譽田別命(ほむたわけのみこと)
八幡神社
瑞浪市稲津町萩原1593番地

萩原の産土様や古杉あり
 旧県道沿い、萩原の最初の集落、小井戸のはずれの北側に、3人でも抱えられない程の老杉(樹齢約700年)が一本歴史を語るように立っております。

中興三百年祭を賑やかに
 此のお宮は元徳元年(1329)9月15日後醍醐天皇の御代、工藤惣兵衛常重が勧請したとありますが詳細は不明です。しかし、貞享元年(1684)の棟札に次のように記されております。
「美濃国土岐郡萩原村に鎮り護り給へるは八幡大菩薩である、造営も供行も絶えはてて修理したり補修など怠って年久しくなった。こうした状態を里の人達は身すてる事が出来ず、皆の力を出し合って再建が、うまく出来あがるようにかみ様に祈った。」
 これを知った氏子一同、協議に協議を重ね、昭和58年10月に中興三百年祭を斎行しました。当日は、稚児の数270人と、萩原の歴史始まって以来の賑わいとなりました。
 長い石段の左右には樫の大木が繁り空も見えません。80段ほど上りつめると、広々とした広場に着きます。正面が拝殿その奥に本殿、西側が社務所、その北に萩原祖霊社があります。

近郷に無い祖霊社
 先の大戦が終わって間のない、昭和27年に此の祖霊社が建立され、萩原孫二郎国実公一族を祖神とし、萩原の祖霊2231柱(平成10年3月現在)を奉斎して、春には例祭と合祀祭。秋には例祭と合祀祭、式年祭を斎行しています。祖霊を敬う子孫が、広庭も狭いほど参集して、厳かに祭が斎行されております。

鎮守の祭
 昭和10年代までの秋祭には何処も彼処も馬の背中に「おまんと」 を高々と飾り神前にお参りしたものですが、当社も馬に替り子供御輿と、投餅のみとなり寂しい思いです。しかし、昔の形を残し賑やかにお祭が出来ることは、大変ありがたく思っております。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)


萩原八幡神社

祭神応神天皇 旧村社 最古棟札 貞享元年(一六八四)九月修造 稲津町萩原
 貞享元年の工藤・勝股氏らおよび村中による修造札に「古社の修復を怠る故に崩壊・零落す。よって村民出財して宮殿を再建」とあれば建立はさらに以前ならんも今は不詳、安永・享保・延享以降の再建・修復の棟札八〇余枚の多数を存す。昭和五年の陶製狛犬あり。

 萩原八幡神社の昭和五年奉納の「友泉作」の狛犬は作品としてすばらしい。


萩原八幡神社

 元徳元年(一三二九)九月十五日工藤惣兵衛常重が勧請とあるが、詳細不詳である。
 貞享元年(一六八四)の棟札に村民協力して再興とあり、萩原村の産土神として崇敬されている。なお、昭和二十七年(一九五二)には、萩原孫二郎国実公を祖神として、萩原地区の祖霊二二〇〇余柱を奉斉する祖霊社を健立し、毎年盛大な例祭が行われている。平成十五年十月十九日に、八幡神社創建三百二十年、祖霊社創建五十周年を記念した改装工事の完工式典が催された。

八幡神社の大杉(樹齢約七〇〇年)

 樹齢七百年ともいわれ、八幡神社創建の元徳元年(一三二九)以来萩原の人々を見守ってきた大杉は、平成十年の台風で大枝が折れたので伐採された。

萩原祖霊社

 萩原祖霊社は、昭和二十四年三月十六日、八幡神社・神明神社の春祭斎行後、氏子総代全員出席のもと、宮司から産土様と氏子の繋がり、現在先祖様の祭の状況を披瀝し、祖霊社建立が望ましいと訴え、出席者が全員賛成、従って氏子総代は自組(区)の意見を集約して再度協議することとしました。
 同年四月三日萩原公会堂において十四名(氏子総代と組長・(区長))が出席協議した。各組(区)とも萩原祖霊社を建立することに賛成決定しました。
 その後昭和二十五年三月六日現地において地鎮祭斎行、昭和二十七年五月五日竣工、その間各氏子から各家の祖先の調査、祖霊社においては各家々の霊代の作成等々苦労を重ね昭和二十八年十二月十四日から十五日にかけて、萩原孫二郎国実公一族を祖神とし萩原の祖先一五六七柱の神霊の鎮座祭を斎行、その後一〇二回の合祀祭を重ねて、平成十八年三月十九日現在二、二三五柱を合祀して祭祀の厳修に勤んでいます。

 鎮守八幡神社は元徳元年(一三二九)の創建で、これは正中の変で萩原国実が討死した四年後である。土岐頼兼、多治見國長の主将、副将が明治になってから明治天皇から勤王の志を賞でられて正四位を追贈されているのに対し、国実にそのことがなかったのは淋しすぎる。国実の家系は土岐太郎國衡家系で長兄系であり。國長は次男の次郎光俊家系。頼兼は五男土岐五郎光定の家系で、家系からいうならば国実にこそ配慮して欲しかった。そんな思いがこの萩原村の人々にあったのか、何時の頃からか八幡神社の摂社に「郷主社」という不思議な名の神が祀られた。不運であった領主(郷主)土岐國実の社かと思われる。

(『萩原郷土誌 水穴』より)


境内灯篭

稲津町萩原八幡神社(享保四・一七一九・・対・円・平子義右衛門文清)

水 鉢

稲津町萩原八幡神社(享保四・一七一九・奉寄進御神前・当村勝股氏)

 


萩原 八幡神社

燈籠竿 角柱

萩原八幡神社石段上
H 115cm W 24cm D 20cm
刻銘
竿部
八幡宮
奉寄進石段
惣村中
宝暦五乙亥年(一七五五)十一月吉日
石工勝俣九兵衛
「火袋なく竿のみ残る」

燈籠竿 角柱

萩原八幡神社石段上
H 115cm W 24cm D 20cm
刻銘
竿部
八幡宮
永代常夜燈
施主
中島友右衛門
用尹
宝暦五乙亥(一七五五)
神主
愛知壹岐守
源茂辰

四角型燈龍 角竿

萩原八幡神社境内
H 217cm H 52cm
刻銘
竿部
八幡宮
常夜燈
神主 愛知豊
 前正源義正
文化十四丁丑年(一八一七)八月吉日
基礎石
 村中安全

燈籠竿 角柱

萩原八幡神社石段脇
H 81cm W 7cm D 17cm
刻銘
永代晦日燈
享和二年(一八〇二)正月吉日
願主
愛知幸助

燈籠竿 角柱

萩原八幡神社石段脇
H 89cm W 14cm D 14cm
刻銘
永代御神燈
文久二戊(一八六二)八月穀旦
願主
後藤泰助

燈籠竿 角柱

萩原八幡神社石段脇
H 90cm W 14cm D 14cm
刻銘
永代晦旦燈
明治元辰(一八六八)
願主
工藤又右ュ門

四角型燈龍 角竿

萩原八幡神社境内
H 224cm H 45cm
刻銘
竿部
八幡神社
常夜燈
御大典為記念
大正四年(一九一五)十月 日
基礎石
国家安全
献納者当村渚下
加納幸三郎
石工 山田磯吉
   工藤善十

不定型燈寵 笠中台自然石

萩原八幡神社境内
刻銘
竿部
常夜燈
奉献
一山林壱段六
畝九歩
大正十五年(一九二六)五月一日建之
土岐郡稲津村
萩原向山千九百七十番ノ三

 萩原の八幡神社には石造の鳥居としては大正三年建立の明神鳥居が一基ある。

明神鳥居

萩原八幡神社
H 411cm W 342cm

手洗石

萩原八幡神社境内
H 43cm 上W 54cm 上D 41cm
刻銘
奉寄進御神前
享保四年己亥(一七一九)八月吉日
当村 勝俣孫市郎

手洗石

萩原八幡神社境内
H 60cm 上W 108cm 上D 62cm
刻銘 歎水
大正八年春
施主 加納助重
石工 山田磯治
   工藤千次
   □ 善十

狛犬

萩原八幡神社石段脇
丸彫
H 92cm W 92cm D 44cm
H 90cm W 84cm D 41cm
刻銘
台石に
奉献
寄進者
当村大牧
工藤鎌太郎
長女
 工藤くに
昭和拾年七月

社寺号標石 角柱石

萩原八幡神社前
H 291cm W 31cm D 27cm
刻銘
村社八幡神社
大正五年(一九一六)十月五日建之
工藤鎌太郎

 萩原八幡神社の石段については、袖の親石又は燈寵の竿に銘文があり、時代が判然としている。

石段

萩原八幡神社
上 80段 中 11段 下 12段
W 141cm(袖石を含む)
一段 H 16~19cm
刻銘
段上の燈寵竿石に
奉寄進石段
宝歴五乙亥年(一七五五)十一月吉日
惣村中
石工
 勝俣九兵衛

(稲津の石造物より)


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