大黒天(大国主命)像 瑞浪市有形文化財
安政年間(1854~1860)に神箟(こうの)村下町(現在の土岐町鶴城下町)の有志の発願により、宮大工の名匠 野村作十郎こと従五位上 野村木工頭國筠(のむらもくのかみくにみつ)(野村作十郎)(多治見市池田町)の彫刻により安政5年(1858)の冬、下町の御堂に安置されました。
この大工は多治見の虎渓山永保寺の六角堂と無際橋の修理のほか、近隣の寺院・神社などの建築・飾物の彫刻など数多くの立派な業績を残しており、虎渓山永保寺の発祖・春応禅師の知遇を得て宮職を推挙された人である。
木像は、台座(米俵)からの高さ約180cm、寄木造り玉眼彩色像(ぎょくがんさいしきぞう)で、頭にずきん・手に小槌を持った重量感あふれる、日本でも最大級の大きさの大黒天像です。
像が完成した当時は、像の奉安殿(ほうあんでん)も無く個人の家の軒下を順送りして置かれていたようですが、その後屋形から奉安殿に移り、以後安置場所はさまざまな理由により移り変わってきたようですが、平成3年(1991) 11月に現在の地に新しい社殿が建立され落ち着かれたそうです。
下町大黒天大祭
毎年1月5日早朝より恵比寿と共に夷(えびす)・大黒としてお祭りを行っています。財徳(ざいとく)(商売繁盛)、厨房(ちゅうぼう)(家内安全)の神として崇拝され、近郷近在から多数の参拝者が訪れその数も年々増加しています。
当日は、境内に古札(ふるふだ)を納めるためのかがり火が焚かれ、甘酒も振舞われます。
毎年、祭り当日には大黒天の作者の孫に当たる方が多治見と名古屋から朝一番に駆けつけられ参拝されているそうです。
今もなお財徳の神として人々の信仰が厚く、毎年1月5日の祭礼には多くの信者が訪れて賑わっている。
野村作十郎作の大黒天
野村作十郎は晩年に高さ約10cm位の数多くの大黒天像を彫っています。