釜戸町町屋 多賀神社
瑞浪市釜戸町1445(町屋)
【祭神】伊邪那岐命・伊邪那美命
【例祭日】10月第2日曜日
【由緒】鳥居をくぐって参道を少し進むと、正面に遷座碑が建っており、そこに次のように記されている。
昭和47年中央自動車道開通によって遷座の止む無きに至り、氏子諸々畏み慨み奉り北方二百メートルの山腹に鎮まり坐ししを此の地に御移し再建仕へ奉り社頭の面目一新を頌へ同年神無月正遷宮の盛典を齋行す
昭和四十七年十月
多賀神社宮司 酒井記
当市内には、中央自動車道や国道19号の新道路開通に伴い、移転遷座を余儀なくされた神社がいくつかあるがこの多賀神社もその中の一社である。現在、秋の例大祭は10月第1か第2日曜日に行われているが、神事のあと若者と子ども達が御輿をかつぎ、太鼓を打ち鳴らしながら、区内をまわって御神酒と花かざりを各戸に捧げる。
(岐阜県神社名鑑より)
祭神 伊邪那岐命(いざなぎのみこと) 伊邪那美命(いざなみのみこと)
多賀神社
瑞浪市釜戸町1445番地(町屋)
昭和47年に移転遷座
鳥居をくぐって参道を少し進むと、正面に遷座碑が建っており、そこに次のように記されています。
遷 座 碑
昭和47年中央自動車道開通に依りて遷座の止む無きに至り、氏子諸々畏み慨み奉り北方二百メートルの山腹に鎮まり坐ししを此の地に御移し再建仕へ奉り社頭の面目一新を頌へ同年神無月正遷宮の盛典を齋行す
昭和四十七年十月
多賀神社宮司 酒井 詔
当市内には、中央自動車道や国道19号の新道開通に伴い、移転遷座を余儀なくされた神社がいくつかありますがこの多賀神社もその中の一社です。
よく整えられた神域
当神社は、文政13年 (1830)伊邪那岐命・伊邪那美命を祀って建立されたもので、遷座碑の銘文にある通り北方の山腹に鎮座されていました。
それを移転遷座するに当たっては氏子の崇敬心を結集し、拝殿・覆殿の新築・鳥居・社号標・狛犬・燈籠・玉垣等の建立が成され、実によく整えられた神域になっています。
賑やかな例大祭
町屋の人々は、江戸時代から明治にかけて、中切八幡神社の氏子でもあり、八幡様の祭礼や護持運営にも奉仕していました。
それが、明治末から大正にかけての長い間の協議によって変更され、町屋の産土様は多賀神社だけとなり、当社の祭も盛大になりました。
現在、秋の例大祭は10月第一か第二日曜日に行われていますが、神事のあと若者と子ども達が御輿をかつぎ、太鼓を打ち鳴らしながら、区内をまわって御神酒と花かざりを各戸に捧げます。
その後、20臼の紅白餅が正午のサイレンを合図にして投げられます。餅にはくじがついていて景品が当たるので年に一度の大賑わいです。
例大祭の他、祈年祭と新嘗祭も厳粛に斎行されています。
(瑞浪市の神社[H10発行]より)
多賀神社
この神社は、文政13年(1830)再建。
昭和47年中央自動車道開適により同年10月、現在地より北方200mの山腹より還座された。
(瑞浪市下街道mapより)