■ 三十三霊場

【美濃瑞浪三十三霊場 第21番】田中泥薬師 瑞浪市薬師町

御本尊:薬師如来
所在地/瑞浪市薬師町 山野内第二公民館広場
JR瑞浪駅下車徒歩30分 中央自動車道瑞浪ICより3分

 戦国時代末期に甲斐の武将武田信玄が信奉する天台宗教により、村人は薬師如来を信仰するようになりました。ところが武田信玄の勢力を駆遂するため織田信長の命を受けた美濃兼山城主 森長守が東濃各地に兵を進め、神社、仏閣の焼き払いを命じました。
 村人たちは、お薬師さまを難から守ろうと、土中に穴を堀って隠して置き、世の平和を見定めてから田中の里にお祀りしました。

他の説では…
 天和二年(1682)西尾四郎兵衛が明白庵再興を望み、黄葉宗の名僧で武田信玄の曾孫である雲峰元沖(うんぽうげんちゅう)和尚のために寄進した薬師如来と云われます。
 雲峰元沖和尚は、地蔵堂の上手の座禅石の横に三宝殿を建立して開眼供養をしました。三宝殿は石積跡から見ると一間四方のお堂と思われます。後年豪雨があり土石流のために薬師如来は流されて行方不明になったのですが、災害復旧が進み、土岐川河畔の泥の中より発見されました。伝承によると、何回も明白寺へ運ぼうとすると寺に近寄ると大雨が降り、運んだ人々にも何等か異変があり、当初は土岐川沿いにお堂を建立して祀ったといわれます。

 安置されているお堂の脇には灯籠があり、「寛延二歳二月吉日 施主 土岐郡山野内村 安藤市兵衛」と刻まれていることから、少なくとも寛延二年(1750)以前のものと推測されます。

 薬師如来は泥中に埋まっていたので、自分の病気のところに泥を塗りつけて「おんころころ せんだり まとうぎ そわか」と拝むと病や苦悩が治ると言われ、今も全身に泥が塗られ庶民の信仰を集めています。

~本当にあった不思議な話~
 ある家の娘さんにお嫁入りの話が決まり、喜んでいました。しかし、そのお嫁さんの顔には大きなイボがーつ。そこでお薬師様の顔に泥を塗り、「どうかイボがとれますように」とお願いすると間もないうちにイボがぽろりと取れたといいます。

 毎年7月に、区長さんの指示で全戸輪番制による「献茶供養」が連綿として継けられています。朝・昼・夕とお菓子とお茶をお供えして御詠歌を歌い供養をします。
  例大祭、祈願供養祭は毎年8月・11月に開祭されています。

 平成20年(2008)10月25日に「お身ぬぐい」が行われ、400年ぶりに薬師如来の泥がすべて落とされて、蓮の葉に乗って薬壺を持ったお姿をお見せになられました。(泥落とし大供養祭)その後参拝者が急増しました。今でも札幌、東京、静岡、京都、岡山、愛知県各市、その他遠方からの参拝者があります。
 平成21年に祈願箱を設置しました。

薬師如来石像

寛延三年以前(1750以前) 光背 立像


関連記事

  • カテゴリー

TOP