天照大神(あまてらすおおみかみ)の妹神、月読命(つきよみのみこと)(夜を支配する神)が祭記してある宮です。
平安時代より旅人が歌を多く詠んだ月吉の里にあります。(夫木和歌集や月玉集など)
榊葉にかけし鏡の面影と 神も見まさん月の休む間 西行法師
掘りあてし 月日の糞や 薬ほり 三州 木朶(類題集・木曽路名所図会)
二十二夜様祭は、「月のおさがり(ビカリアという貝の化石)月休石(げっきゅうせき)(休み石)」をご神体とする月の宮で行われる祭りです。
昔はおばあさんたちが化石の出る山の岩から苦労してビカリアを掘り出し、月吉から嫁に出る娘や孫娘に安産のお守りとして持たせたということです。時を経てビカリアをご神体とする「月の宮」の祠を建て、家内安全、交通安全、安産の神などとして信仰するようになりました。
貴族社会から始まった祭り(旧8月21日)は、タ方、川で口や手足を濯ぎ、月の出を立って待ったそうです。
二十二夜様、あるいは二夜様と言い、月の出を立って待ちますので、またの名を「お立ち待ち」とも言います。
年1回8月の末には参道に提灯の灯がともされ、昔から続く幻想的な風景がよみがえります。
《月の宮に関する言い伝え》
お月様が、東から西に旅に出られた時のことです。途中で月吉の中心にとてもきれいな池があることに気づかれ、この池を鏡にお化粧をされたそうです。その池のほとりに、大きな槙(まき)の木がありました。その槙の木の淵で、お化粧ついでに、らせん状の「おさがり(ウンチ)」をされました。それが、長い年月、土に埋もれて硬い石に変わったということです。 「月の宮の伝説」より
慈照禅師(じしょうぜんじ)という僧が、日本の中央をたずねて日吉の里に来られ、21日の間、榎(えのき)の木の下でお経を読んで日の出・月の出をおがまれました。21日目の朝、日の出前に大杉の天辺に光り輝くものがありました。それは珍しい玉でした。西方にも光る玉がありました。この不思議な形をした玉は、神様のお下がり、つまり糞として、はじめの玉を日のお下がり、あとの玉を月のお下がりとして寺を建て、日の玉・月の玉を安置する日の宮・月の宮を祀ったということです。
「瑞浪市史」より抜粋
月の宮二十二夜様祭
ご神木のアベマキの根元に小さな祠があり、一年に一度まつりの日に祠の扉が開けられます。祠の周りは綺麗に清掃され、陽が沈むと提灯、灯篭に灯がともり幻想的な風景が現れます。
月吉区の人たちは、月の宮の祀られている場所へ集まり、月の出を待ちます。
時を経てビカリアをご神体とする「月の宮」の祠を建て、家内安全、交通安全、安産の神などとして信仰するようになりました。
別名二十二夜様、あるいは二夜様と言い、月の出を立って待ちますので、またの名を「お立ち待ち」とも言います。
西行法師の歌碑
西行法師の歌が彫られています。明治十五年に再建され、歌中の 「月の休み木」もここにあったとされます。
榊葉に かけし鏡の 面影と 神もみまさん 月の休む間 西行法師
他に瑞浪化石をよんだ句
掘りあてし 月日の糞や 薬ほり 三州 木朶(だ)(類題集・木曽路名所図会)
月の宮様のアベマキ
横に立つのが御神木のアベマキです。これまでにあった台風や落雷のため少し傾き、上の方は枯れて無くなっていますが、苔むした2本の太い枝を力強く横に伸ばし、枝張りは10mにもなります。
地元では特にこの月の宮のアベマキを“大槙(薪)様(おおまきさま)”とよび、親しまれてきました。
ごつごつとした太い根はこの木の年輪を感じさせ、根元には大きなウロがあります。
戦役記念碑
明治41年8月に大島健一の書にて建立されました。近くには不発弾がオブジェクトとして置いてあります。